「加奈 〜いもうと〜」
普段、こうしてゲームの感想を書こうとするとき、わたしなりに気をつけているのは、あくまでも第三者からの目線から見つめた作品の視点を取りいれて書こう、ということである。こんなどこにでもあるようなホームページの、どこにでもあるようなゲームレビューまがいの稚拙な文章、それもたぶんわたし以外誰一人として読むことのないようなドマイナーなものであるにせよ、それはゲームをどうこう言う段階での恐らく最も基本的なお約束だと思うからである。
例えば自動車評論家が、「この車はカッコイイからすばらしい」と言ったところで誰がその評論家を信用するだろうか。それはまあ究極的にはそうなのだろうが、しかし「評論」とかそういうものである以上、「ここがこうなっていて、こうなっているからすばらしい」と言わなければならない。「カッコイイ」とか「面白い」で終わってよいのは小学校低学年の読書感想文だけだ。そこからいかに第三者の視点を取り入れ、カッコイイと思う自分、面白いと思う自分以外の人格から対象を見つめるかということが必要なのである。
という前置きを書いた上で、最初に断言しておく。今回はそういう技法とか、技術とかそういったものを一切まとめて無視している。ともすれば「好き」「面白い」「すばらしい」という、それだけの羅列になるかもしれない。そのへんを留意して読み進めていただきたいと思う。
「加奈 〜いもうと〜(D.O.)」。
最近はこういう所謂18禁ゲームというもののスタンスも大きく変わってきていて、そのタブーの壁の薄い、自由な環境で読ませるストーリーが構築され、それが故にこういうゲームの話に涙を流すということは少なくなくなった。最近発売されたものでは「Kanon(Key)」であるとか、「終末の過ごし方(アボガドパワーズ)」、「Silver Moon(R.A.N. Software)」などといった「読ませるストーリー」でプレイヤーに涙を流させる作品はたくさん存在する。
この「加奈 〜いもうと〜」もそういうジャンルの一つである、と言ってしまえばそれまで。話はそこで終わりになってしまう。
だがしかし、そうではない、と思う。
この作品のあらすじを説明しようとすると、これは本当にあっという間に終わってしまう。実際、ホームページや雑誌広告など、さまざまなところに掲載されている「ゲームのあらすじ」というやつに目を通して見ると、それは本当にシンプルというかなんでもないものだ。究極的には、「体の弱い、二つ年下の妹がいる少年の話」。これだけで終わってしまう。その上、この「加奈 〜いもうと〜」というタイトルからしてみて、ああ、そういう人たちに向けて発信された作品なのだろうなあ、というような印象を受けるのは間違いないだろう。このあたりは「終末の過ごし方」のコラムでの文章で書いた「イロモノ」の話に通じるものがあるのでこちらもご参照いただきたいのであるが、この「加奈 〜いもうと〜」の場合も、「妹属性」即ち「妹」というシチュエーションがお気に入りというような人々に向けられた作品であるというイメージをこのタイトルは抱かせるからだ。
さらにこの作品、18禁というジャンルにおいて最も重要な要素の一つである「絵」が、いわゆる流行り系の絵とは遠いところにあると思う。アニメ系というかそういう明るい色合いの多用された、眼のぱちっとした感じの、ともすれば低年齢を想像させるようなタイプの絵ではなく、むしろその逆の、なんとなくどこかしらにリアリティの漂う、こういうゲームの世界ではどっちかといえば最近敬遠されつつあるタイプの絵なのではないかという印象なのだ。もちろんそれがいいとか悪いとかそういう話ではないので誤解しないでいただきたいのだが、しかしそれが故に、店頭や雑誌でぱっと見て、ああ、欲しいと食指が動く人というのは、これはあまり多くないのではなかろうか。しかも、なぜか雑誌の記事も圧倒的に少なく、こうなるとなおさら第一印象が購入動機になりやすい18禁ソフトでは不利になってしまう。
でも、もしそれが故にこの作品に触れる人が少ないのだとしたら、これは本当に寂しいというか、勿体無いことだと思うのだ。
とにかく泣いた。なんというかもう、あの瞬間は、これがゲームという仮想現実の世界であるということを忘れていたかもしれない。ただ切なくて声をあげて泣いた。
簡単に言えば、そういう作品である。
それだけなら「話のデキがいい」という、それだけで終わってしまうのだが、もうそういうレベルではない。
「病弱」というようなものをテーマに据えるとこういう「感動的な話」は実際にはできやすい。人を感動させるのには人が死ぬ話を書けばいい、というのは、モノを書く世界にちょっとでも踏み込んだことがある人ならある意味で常識である。だからこそいろいろな小説や映画、ゲームに「死」というシチュエーションは利用されてきたのだ。
それならばこれもそういうもののなかの一つに過ぎないのか。
答えは、ノー、である。
大袈裟な話ではなく、わたしはこの作品から「教わった」ことがたくさんある。それは一つや二つではない。「いのち」に関すること、「生きる」こと。まだまだたくさんある。たくさんありすぎて逆にわからない。わからないが、しっかりと心に刻まれた証だけはわたしのなかにしっかり残っている。ちょっと臭いかもしれないが、「生きる希望が沸いてきた」とでも言うのだろう。本当に心からそう思った。
以前、「MOON.」のレビューで、わたしは「この作品は、感動する以上に残るシーンがたくさんあるからすばらしい」というようなことを書いた。つまり、感動的なシーンがあるゲーム、というそれだけのものなら、ただ「面白いゲーム」にしかなり得ず、ゲームが終わってからふと思い出されるシーンがあるゲームというのは「傑作」であって、この「MOON.」という作品はそれが一つや二つではない。それだから傑作から名作へとさらに昇華されるのだ、というような趣旨である。
この「加奈 〜いもうと〜」もそれは同じだ。ほとんどありとあらゆるエピソードが鮮明に頭に思い描かれる。もちろんMOON.とどっちがいいかなんてことは比較できないが、この「加奈 〜いもうと〜」という作品は、さらにその上に、プレイヤーの心に深い思いを残すのだ。生きることのすばらしさを、大切に思う人との切なく、そしてあまりにかけがえのない時間を、しっかりと心に刻みこんでくるのである。ゲームの中で主人公と一体化し、加奈という妹が本当に大切に思えてくる。そしてそれが故に切ない。これは本当に大変なことだと思う。
ただ単に「いのちは大切だ」と訴えることは簡単なことだ。そんなことはある意味でアタリマエだからである。でもそれを実感できるときというのは、実際にはそんなに多くはないだろう。
わたしは幸いに生まれつき体も健康だし、大きな病気や怪我もしたことはない。さらに医療関係に携わっているわけでもないから、この「加奈 〜いもうと〜」に描かれている医療現場が本物に近いのかどうか、とか、実際にこの病気がどうだ、とか、そういったことはまったくわからない。もしかしたらもっともっとつらいものなのかもしれない。もっともっとどろどろしているのかもしれない。わからないが、わからないなりに、生と死と直面している人々のひとつひとつの言葉が、決して単なる美談ではない「命の闘い」が、生々しいほどのリアリティを持って伝わってくるのである。だからこそ「感動した」だけではない、それ以上のメッセージがそこに存在するのだ。
そのほかの演出面も特筆モノで、たとえば音楽なんかだと、オープニング、エンディングの歌に加え、挿入歌というのが用意されているのだが(ちなみにこの「挿入歌」の使い方もとても上手い)、どれもほんとに名曲である。歌詞も曲も、そしてこれを歌っている人が、ここまでか、というくらい雰囲気にマッチする。そして一つ一つのシーンを盛り上げるのだ。先ほどちょっと触れた絵に関しても、どうして最初この絵に違和感を覚えたのかと今では不思議になるくらいである。雰囲気をまったく壊さない、想像通りというのがまさにしっくりくる。そういう絵だ。そういうものが全部集まって、一つの「加奈」ワールドを作り上げているのである。
いろいろと書いてきたがたったひとつ、この作品は間違いなく、今までやったゲーム、今までに見た映画や小説など、全てを通して見ても最高峰の物語をわたしに見せてくれた、ということだけは間違いない。ゲームというものに触れてきてよかったなあ、と本気でわたしは思った。
とにかく物凄い作品である。確かに**萌え〜とかそういう系列のゲームではない。でももし、絵とかタイトルとか、そういう上っ面で敬遠してる人がいるとしたら、騙されたと思って一回やってみていただきたい。
そして話のエンディングを迎え、そこからなにかを感じ取ることができたとき、ああ、やってよかったと心から思うことだろう。
戻る