1・天地開闢

ビッグバンの前に何があったのかというのは常人ならば誰もが考えることではあるだろう。宇宙がビッグバンでできたならばその前にそこに何かがあったはずで、さらにはそこになにかができてからどれくらいの時間がたってビッグバンが起きたのかとか、それだけで頭が痛くなってくるものだ。
 物理学では、ビッグバン以前のことは「考えない」ことになっているらしい。なんとも不思議な話ではあるが、時間も空間もとにかくビッグバンをきっかけにすべてがはじまったのであるから、ビッグバンより前を考えることに意味はないのだそうだ。
 さっぱりわからない。
 が、これはもうこういうものだと思うしかないのだろう。そう言われればそうなような気もするし。
 古事記にビッグバンなんて単語が出てくるのかと思っている方もいらっしゃるだろうが、出てくるのだ。ちゃんと辞書にも載っていたので間違いない。ないのである。
 それはともかく。
 神話の世界も最初はなにもない空間から始まる。なんにもないところにふと天と地が分かれたとき、天界であるところの高天原に生まれた神様というのがいた。これがアメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒという三人で、さらに地の国がまだ固まらずにふわふわしていたときに生まれてきたのがウマシアシカビヒコジ、アメノトコタチという二人だった。この五人は「コトアマツカミ」と言って最初に生まれた特別に偉い神様なのだが、物語にはあまり関係ないので流す。
 ちなみに、神様の数え方は本来「柱」であり、一柱、二柱と数えるのだが、この本ではあえて「人」を使うことにするのでそのへんはまあご理解いただきたい。
 で、さらにその後もどんどん神様が生まれてくるが、これも物語にはあんまり関係ないのでこれもとばしていく。いちおう名前だけ挙げていくと、クニノトコタチ、トヨクモノ、ウヒヂニ、スヒヂニ、ツノグイ、イクグイ、オオトノジ、オオトノベ、オモダル、アヤカシコネだ。どうだまいったか。
 このへんも確かに大切な神様ではあるけども物語的にはほとんど出てこないのでまあいい。大切なのはこの流れで、この後最後に生まれた二人であった。
 イザナギ、イザナミの二人である。

「国を作る、ということですか」
「うむ」
ある日、イザナギとイザナミを呼び出し、そんな話を始めたのはさきほどのコトアマツカミである。
「まだ国はこのとおり、ぶよぶよしててなんやらようわからぬ」
「はあ」
「だから作るのだ」
「よくわかりませんが」
「わしにもわからぬ」
「はははは」
 イザナギは笑ったが、偉い神様はにこりともしない。
 冗談を言ったのではなかったらしい。
こういうときの気まずさというのは実になにやらいたたまれないものがあったりするものだが、イザナギもコトアマツカミもさほど気にはしていないようだった。
「わからぬ、というのは、いまだ定まっていないということだ。まだ国はクラゲのように漂っていて安定していない。お前たちは二人でそれを固めて国にするのだ」
「どうやってですか?」
「これをやろう」と、渡してきたのは細長い矛。
 なにやら装飾のついた立派なものである。
 イザナギやイザナミであっても、このコトアマツカミに会うことはほとんどないし、具体的な接触もほとんどない。だから当然、この矛を見たのははじめてであった。
「矛ですね」
「これは天の沼矛と言ってな。これでその固まっていない国を混ぜるとあら不思議」
「どうなるのです?」
「国ができるのだ」
「国が」
「うむ。頼んだぞ」
それで説明は終わったらしい。
もうなんと言うか、絵に描いたような嫌われる上司である。
 この場合もこんなもんでいったいどうすればよいのかと考えてしまうところではあるわけだが、しかしそこは二人も神様だ。
 直ちに事情を飲み込んで、二人が向かったのは天の浮橋。空にかかっている大きな橋なのだが、そこから見下ろしてみるとなるほど実にうねうねとしたなんだかよくわからないものがなんだかよくわからないことになっているのだった。そんなんじゃわからないと言うところではあるが、なんだかよくわからないものはなんだかよくわからないのであるから仕方がない。
 もともとよくわからないものはよくわからないとしか説明できないのであるできないんだってば。
「なるほどこれか」
「混ぜてみようよ」
さきほどもらった矛で混ぜてみると、なるほどさすがに不思議な矛。潮がころころと音を立てて矛に張り付いてくる。
 それを引き上げたとき、矛の先にくっついていた潮が固まって島になった。オノゴロ島である。

 2・国生み

 オノゴロ島は小さいながらも割と住みやすい島であった。
 もともと潮が固まっただけの島なんてと思ってしまうのだが、それでもこの地上で一番最初にできた島なのだからそれはもう大変なことなのである。
 ちなみにこのオノゴロ島が現在で言うとどこなのかはわかっていない。
 そこに大きな柱と家を建ててしばらく新婚生活をはじめた二人であったが、まああれだ、しばらくすれば当然そういうあれである。
 なんせ男と女なのだ。
「あのさあ」
ある日、ナギが自分の体を見ながら一つの発見をして、ナミに言った。
「どうしたの?おにいちゃん」
「何度も言うけどおにいちゃんはやめれ」
「だっておにいちゃんはおにいちゃんだもん」
まあそうなのだが、一応は夫婦でもあるんだけどなあ。
 倫理的にどうかとかいろいろあるわけだが、いろいろおおらかなのである。
「まあいいけど。ナミ、そんなことよりちょっと聞きたいことがあるんだ」
「なになに?」なんせ平和で退屈な毎日だから一つ一つの会話に興味津々である。
「お前の体ってどうなってる?」
「体?」
「そうそう」
「んー……あ、胸が去年より2センチ大きくなったんだよ」
「いやそういうことじゃなくてだな」どうもこいつと話していると調子が狂ってしまう。「ほかになにかないのか」
「ほかに?」んー、とちょっと考えてから、
「あ、そうそう。あのね、不思議なんだけど。わたしの体に、ひとつだけ穴が開いてるの」
「そうなのか。俺の体にはひとつ飛び出したところがあるんだ」ふうむ、とナギが首をかしげる。
 やっぱりそうか。
 この違いは何なのだろうなあ。
「そうだ。それならあれかもしれないぞ、俺の飛び出たところをお前のそのへこんだところに入れれば完璧なものになってさらに国が生まれるかもしれないぞ。どうだ」
「そうだね。いいよ」
 なかなかシュールな光景ではある。
「じゃあこうしよう。俺は右から回るから、お前は左からこの柱を回れ」
「それでどうするの?」
「会ったところで恋の始まりだ」
「ときどきおにいちゃんって不思議なこと言うよね」
 しかしまあこういうことをやっているカップルというのは現代にもたくさんいて、たとえば誕生日なんかに「君とはじめて出会った場所」なんてところに連れて行ってもう一回あのときの気持ちを大切にしようなんて言ったりするのだ。そうですか。
 いやまあそれはよいのだ。話を戻そう。
 柱に沿って背中を向けてぐるりを歩く。
反対側で出会ったところで、
「わあ。おにいちゃんかっこいい」
「お前もかわいいなあ」
 こういうことを言っているカップルというのは現代にもたくさんいて、よくデパートの洋服売り場なんかで試着なんかしながらそういう会話を交わしているカップルなんかを見かけることがあるがあんなのほんとにどうなんだまったくこんちくしょうめ。
 いやどさくさにまぎれて本音を言うのがこの物語の趣旨ではないのでそれも別にいいのだけれど、とにかくそういうことだ。
 しかし、ナギは難しい顔をしている。
「どうしたの?」
「いや、ちょっと」
「……もしかしておにいちゃん、わたしのこと嫌い?」
「や。いやいやそうじゃなくて」泣きそうになっているナミを前に、ナギがあわててフォローする。
「女から先に言ったのはよくないんじゃないかなって」
 いやいやあたしが言ったんじゃないそういうふうに書いてあるのだ女性の権利がなんだとかなんとか叫んでいる人が見たら怒られそうな文章ではあるがそういうことなので仕方がないのである。
 そうしてそういうあれだ。行為であるのだ。
 一応日本の歴史上、はじめてエッチをした二人ということになるわけだがそれはまあよい。
 とにかくそれで子どもが生まれたが、そこで生まれたのは骨がなくてぶよぶよした水蛭子だった。
 この子はそのまま葦船に入れて流されてしまう。
 その後に生まれた子どもは、淡島という泡のように定まらないやはり不完全な子どもだったので、これもまた流されてしまった。
「どうもおかしい」ナギが首をかしげた。
 自分の子供ではあるがなかなか神様の世界というのもシビアである。
「今俺たちが生んだ子はどうもよくなかった」
「うん」
「なんでか解るか?」
「わかんない」えへへー、とナミが笑う。
とりあえず嬉しかったらしい。
それでいいのか。
「とりあえずあれだな。こういうときはあの人たちに聞いてみよう」

「女のほうから先に言ったから悪いのだ」
 訪ねた先……コトアマツカミがそう言って二人を見た。
 太占で出た結果であるから確実で、そう言われてしまえばグウの音も出ない。
 ちなみに太占というのは、鹿の骨を焼いてそのひび割れ方で結果が解るという占いのことだ。
 神様が占いで未来を見るというのもどこか変な話ではあるが。
「やはりそうでございますか」
最初のときになんとなくしていた嫌な予感というのが基本的に当たっていたということになる。
「おにいちゃんから誘ってくれないとだめ、っていうこと?」
「うむ。そういうことになるな」
「そうなんだー……」
んー、となにやら考えていたが、すぐにその表情がにへらと崩れる。「いいなあ、それ」
 なにやら楽しいことを想像しているらしかった。
「いやまあそういうことならすぐただちに」なぜか慌ててナギが答える。
「うむ。帰ってやり直すがいい」
 こうして今度はナギがナミを誘い、きちんとした子どもが生まれてくることになる。
 ここで生まれてくるのは日本列島を構成する島であるのだが、基本的には物語の中では神様の名前が列挙されるだけになってしまうのでここでは省略する。まあそういうものだと思っていただければそれでいい。
 大切なのは、ここで生まれた細かい島々が八つあるので、日本を「大八島国」と言うのだというそれくらいのものだろう。