1/8 「過去論」

 というわけで、気がつけばもう新年ですよ。もう誰が見にきてるんだかわからないサイトですけど、気がつけばもう2015年だなんて恐ろしい時代ですね。まったくもってアベノミクスです。云ってみたかっただけですねこれ。
 そんなサイトでもとつぜん「彼女ができましたありがとうございます」という旨のメッセージが舞い込んできたりして、べつにわたしは散々童貞煽りはしたもののとくになにかしてあげたりはしてないのだがなあと思いながらもまあめでたいことですしなんともうれしいじゃないですか。しあわせにな。
 まあしかしね、こうなんだ、2015年ですよ。
 そもそもなんかこう21世紀というのは、われわれの世代にとってはとても未来感のある言葉だったわけなんですけど、この2015年というのはまたさらにこう感慨深いもので、なんていうかある意味1980年代の、アホな小学生だったあたしなんかだと、2015年なんてものは来ないものなんだと思ってました。いやノストラダムスとかマヤ歴とかそういう意味ではなくて、なんだろうな、10億年後に太陽がなくなりますって云われても想像できないあの枠にあったのがこの2015年という年だったわけです。
 だいたい2015年って、バックトゥザフューチャーですからね。ビフが金持ちになってて主人公の街が壊滅的なスラムになってて、町の中なんて空飛ぶスケボーが飛び交ってるはずの年ですよ。みんなそんなものが来るはずがないと思ってたからそういう設定にしたんでしょう。
 まあ時代というのは移ろいゆくもので、ここの更新頻度も別に書きたくないから書かないとかいうんではなく、むしろ「なんとなく書かなくなった」感じに近しいわけなんですけど、そうするとまああれだ、書き方忘れるのな。
 いやね、見てわかる通り、なんとなくこうキーボードを前にエディタを開けば、ああなんかこういうリズムで書いてたよなあってことは思い出せるんですけど、じゃあ具体的にどんなネタを書いてたのかってのがさっぱりわからない。
 なんかこうみんな今では笑い話にしてますけど、昔こういういわゆるテキストサイトというのは、fontタグで文字を大きくしたり色を変えたりなんてのが大流行してて、それは当時むっちゃ面白かったんですよ実際。いやま、今の感性からするとすっごい寒々しいですけど、当時はあれをみんな面白いと思っていたからこそやっていたわけですし、それの元祖のテキストサイトがあってみたいなこともあるらしいんですけどわたし実はそのサイトを一度も見たことがなく、おそらくテキストサイトというのはこういう風に書くんだというのをなんで見てそれが面白くて真似していたわけで、今あれを思い出して「あれ実は面白くなかったよな」って正直に云える人はそう多くないだろきっと。当時の人の多くはあのテンションに笑ってたはずだぞ。
 いやまあそれはともかくそういうあれで、さすがにそこまで古いのはあれだとしても、なんかこうなんだ、自分はどういう文章を書いてたんだろうなと思い、過去の文章をちょっと見直してみたんですよね。
 そしたらさ、こいつ結構おもしろいこと書いてんの。まあその、テンションと勢いに任せて書いてる部分は多々あるんだけどさ、こうなんだ、そのテンションが明らかにおかしい。深夜に書いたってこうはならないだろうという変なテンション。
 別に昔から日記を書いてるわけではないんですけども、かといってそのなんだ、エッセイを書いてるわけでもなく、自分の過去をほじくり返して遊んでいるというその感じね。これまた自分のことだからよくわかるんだけども、ほとんど嘘がない。ほとんど、と書いたのは、嘘というよりも記憶の違いみたいなところで、ディテール部分であれ、そうだっけ?と今になってみれば思うことがあるくらいのところで、大綱にまったく嘘がない。
 自分で云ってしまうのもどうかという話ですが、これはある意味ですごいことで、こんなもの読んでもね、こんな38歳のハゲかけたおっさんの昔話を延々と聴かされてるようなもんですから、他の人が読んでどうかというところはこう改めて読んでみて思うところではありますが、ある意味では究極的にモテないおっさんの人生のリアルさみたいなものは伝わってくるわけですね。
 あれですよ、人は誰でもそうだと思うんですが、自分のことを人に話すのって面白いじゃないですか。まあ、聞かされる人はよほどその人に興味があるでもなければうんざりするわけなんですけど、ツイッタなんかでも自分をアピールするためのタグとかいっぱいあって、世の中の人は自分のことをみんなに知ってもらいたくて仕方ないのだなあなんて思ったりるすわけです。
 そういうあれからすると、こんなところに書いてある文章なんてある意味究極の自己満足なわけで、ここが長いことやってた割には世にあるテキストサイトのようにメジャーになることもなく、延々と童貞の愚痴を書き続けていられたのもある意味そこに理由がある気がしますがそれはともかく、その自分を語れることに対してのテンションがこれ凄い。
 ま、人間の過去なんてのは限りがあって、38年生きてきたらどんなに長くても38年分しか過去は蓄積されないわけでして、語れば語るほど目減りしていくわけです。これはまだ云ってないんじゃないかなと思ってたエピソードのほとんどをここに書いててびっくりした。保育園時代に好きで顔まではっきり覚えてるのに卒業アルバムとかの記録に一切載ってない久美ちゃんの話とか、保育園の頃結婚式ごっこではじめてキスをした聡美ちゃんの話とかそんなんまだしてないんじゃないかなあと思ってたら思いっきりしててびっくりしたもの。ある意味ここだけ読んでおけばあたしの人生の3分の1くらいはほぼ把握できるんじゃないかくらいの勢い。少なくとも恋愛関係についてはほぼ100パーセント把握できると思う。見たら好きになった女の子のこととか全部書いてあるしな。
 あたしがいま公開されている過去の文章の中で、個人的にいちばん気にいってるのが2008年10月18日の「体育祭論」という文章なんですけれども、これがまた変にわたしの中でリアルに思い出せる経験なんですね。
 わたしはある意味で運動をしないために生まれてきた男でして、ドッヂボールをやれば簡単に当たってスコアが稼げるグレーターデーモンみたいな存在でしたしからね、とにかく体育祭とかそういうものが嫌いだったわけです。
 その「とにかく嫌いだった」感が、書いてるうちに盛り上がってきちゃったんでしょうね、同じテーマで今書けっていわれてもこれは書けない。絶対に書けない。確かに高校生のときの体育祭の棒倒しで、開始のピストルが鳴り、左右から轟音とともに走り寄る男ども、そしてあの華麗な飛び蹴りの美しさは今でもはっきり思い出せますけれど、あれをこのテンションで説明しようってもなかなかできない。
 この当時、このテンションを狙って書いたのかというときっとそうではないと思うわけで、そういう意味でもやっぱりこの文章のテンションはすげえなあと思うわけです。もう一度こういう文章が書けるようになりたいもの。
 2008年あたりっていうと今から7年前ですから、30歳という、20代という若い印象の年代を超え、30代というそろそろいろいろ背負わなきゃいけない年齢に突入してしまったにもかかわらず、このまま俺一生結婚どころか彼女のひとつもできないんじゃないかなあなんて不安になっていて、それでいながら発散する手段もないし具体的に解決する方法もないという、いちばん精神的にまずい状態にあったときだと思うんですよね。ある意味だからこそできたのかもしれない。じゃあその頃に戻りたいかというと、まあ、ちょっと戻って今の心情で行動していたらどうなっていたのかってのを試してみたい気はする。変わんねえと思うけど。
 とまれ、あれですね、これからは更新ペースを上げていこうとかもうそういう無謀なことは云いません。云いませんとも。なんかこう思い出したように更新できたらいいね。


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