09/28 「真実論」

 というわけで、いやあそのなんだ、しばらく書かないでいると書き方も忘れるよね。もうどんなこと書いてたのかも覚えてないもの。
 そりゃね、あたしだって芸能人とかじゃないですからね、毎日毎日平凡な人生を送ってて、そこにあなたいったいどんな変化がありますかってなもんですよ。いったい誰に向かって愚痴ってるのかさっぱりわかりませんけども。あ、今日めんどくさいこと書くのでめんどくさいのやなひとは適当に読み飛ばしてください。
 なんかさあ、ここ最近いろいろあったじゃないですか国際情勢も国内情勢も。そういうのを見るたびにね、非常に苦々しい思いでいたわけです。いや別にその対象にだけではなくて、もっとなんていうかこう、広義の意味で、というか。
 結局のところなんなんだろうなあと思うのはね、昔からよく云われている「テレビで育った世代はテレビを鵜呑みにする」のと同様に、「ネットの人はネットの情報は鵜呑みにする」というヤツで、つまりは「テレビ新聞は全部嘘! ねつ造!」なんて云って片っ端から疑っておきながら、ネットに出ていることは出典がはっきりしない情報であってもとりあえず信じちゃう、みたいな。
 あれってさ、ネットって結局草の根だし、あたしみたいなのを含めてどこの誰だかわからない人でも情報が発信できて、それはもちろんいいことでもあるんだけどどうしてもアンダーグラウンド的な側面を持つというかさ、なんていうかこうそういう思想の人に対して刺激的かつ都合のいい情報(風のモノ)が多いんだよね。
 だからなんだ、コレは自分のことを振り返って見てもそうだけど、ネットにも嘘があるってのはわかってても、センセーショナルで刺激的で自分が信じているモノに従順な情報ほど真偽を問う前にとりあえず信じちゃうみたいな、とくにマスゴミだなんだなんて云ってるヒトほど、「真実を追求したい」んじゃなくて「自分に都合のいい情報で周りを固めたい」だけだったりするわけでさ。
 だからマスコミが間違ったりねつ造があったりすると、これでもかってばかりに総叩きして「これだからマスゴミは」なんて云ったりするのに、それよりも(分母が多い分)絶対的に数が多いはずのネット上の間違いやねつ造に対しては「だからネットは信用できない」とは云わないで、それはそれとして次の「気持ちのいい情報」を探してしまうワケだな。ほんとに麻薬みたいなもんですよねコレ。
 んでまあ、その「気持ちのいい情報」には、既存マスコミは嘘ばかり、ってのも含まれてるんだから、ある意味こりゃ負のスパイラルでありますなあ。
 特に掲示板のまとめサイトとかツイッタの発言を集めたサイトとか、あんなもの編集する側の都合のいい発言だけを抜き出して編集してあるわけで、これが「ねつ造」でなくていったいなんなのだと思うんですけど、ヒトによってはそれが情報元だったりするからもうどうしたらいいやら、ってなもんですね。
 なんてかな、云ってること自体は単純なことで、既存マスコミにも嘘があるし、ネットにも嘘がある、っていうごくごくあたりまえのことだと思うんですけど、その中でネットの情報を基準にして「テレビに騙されている愚かな人たち」を「情弱」だなんてあざ笑いながら、実は自分も騙されていることに気づかない、みたいな。キツネに騙されて風呂だと思って肥だめに浸かってる人みたいな感じか。
 なんていうか、どこだったかなあやっぱりそういう政治がらみの掲示板だったか、「民主党とマスゴミに騙されている大衆に俺たちが真実を教えなければならない」とか、「そろそろマスゴミに騙されていると大衆が気づいてきた頃」とかっていう書きこみがあってさ、ちょっとぞっとしたんですよ。このひとたちは自分を「大衆」だと思ってないのだ、ということに。
 その「騙されている」媒体がネットかテレビかの違いなだけで、自分たちも嘘が溢れる中にいて、それに気づかないのはもちろんですけども、それはわかってるけど自分だけはその嘘を見抜いて真実が見えているんだっていう過信というか自信みたいなのってさ、ある意味ものすごく危険だと思うんですよ。
 それってつまりエリート意識とかってのと同じで、逆に自分たちが信じていた情報ソースが嘘を流したらころっとだまされる、ってことだからね。昔、オウムの事件でエリートたちが大量殺人事件に加担したのとあんまりかわらない、というか。
 まず、既存マスコミに対してもネットに対しても、デマや嘘の情報に騙されないためには、自分たちが大衆であるということに気づくことがファーストステップなんじゃないかなあ、とこう思うんですよね。自分たちだけは真実を知っているっていう過信は結局ただの盲目化であって、溢れる嘘やデマに対して防御力をなくすわけだから。
 いきなり大衆の心をつかむのがものすごくうまい独裁者が現れて(まあ、えてして独裁者ってのはそういうもんなんでしょうけど)、受け手に「気持ちのいい情報」だけを流したとき、そこにある情報だけは真実で、それを俺は見抜いている!というひとの支持を集めたところで独裁政権が生まれるわけでね。で、大衆があれ実は嘘だったんだ!って気付いた時にはすでに手遅れ、と。
 ただまあ、この手のひとたちの場合、自分に危害が加わったり自分が面倒なことになったりするのはすごく嫌で、あくまでも安全地帯にいることが大前提みたいなので、たとえば信じていたモノが「これからは徴兵制やります」とか云ったらとたんに手のひらかえすでしょうけど、まあ、それはそんなもんでしょう。ある意味大衆のあるべき姿なので、それは別にいいんですが。
 かえすがえすも、別にネットは嘘だらけとかテレビは真実とかそういう二極分化ではなくて、テレビにもネットにも、真実もあるし嘘もあるというあたりまえといえばあまりにあたりまえのことなんですけどね。「そんなこといまさら云われなくてもわかってるよ!」って云うひとがほとんどでしょうけど、でも「わかってるよ!」って云うひとほど危ないかもなあっていうのはなんかあったりもするんですよ。あたし自身も含めて。
 なんかこう思うのはさ、つまるところ多くの人は勧善懲悪というか、正義と悪者、みたいな感じでモノゴトを二つに分けたがるのだなあ、ということだったわけです。
 たとえばさ、韓国中国は悪で台湾が善とか、民主党が悪で自民党が善とか、もっといえば既存マスコミは悪でネットは善とか。「こっちは全部悪い、だからあっちは全部いい」みたいな単純化のうえでしか物事を見られなくなるってのはさ、徹底的な思考力の低下っていうか、ものすごくまずいことだと思うんだな。絶対的な悪も絶対的な善も存在しないなんてことは、世界の歴史をかえりみるまでもなく明らかなんだから。
 どんなものにでもいいところはあるし悪いところもあって、そんな絶対的な正義の味方なんてものは物語の世界にしか存在しないのだってことなんだと思うんですけど、それこそ政治経済からアニメやゲームの感想まで、絶対的な悪者と絶対的な正義の味方を作りだして語られてるような感じがものすごいするんです。
 もちろんね、それを踏まえたうえで、「どちらかといえばこっちが好き、どちらかといえばこっちが嫌い」ってのは、コレはもう人間感情で動く生き物なんだから当然あるでしょう。たとえばなんだ、あたしだってこんなこと云ってても中国韓国が好きかって云われたら別にまったくそんなことはないし、腹が立つことはいっぱいありますしね。あのへんの国の行動について肩を持つつもりはまったくないです。
 でもさ、たとえば韓国のドラマとか歌とかそういうものについて、あたし自身はこれっぽっちも興味ありませんけど、それが好きだっていう人は当然いるだろうし、それについてどうこう思うところもないです。
 いまネットというかツイッタとかみてると、自民党新総裁の安倍さんがすごい持ち上げられててさ、安倍さんすばらしい! これからは自民党! 安倍さんを叩くマスコミはクソ!みたいなことになってて、それもなんだかなあと思うワケです。
 いやべつに民主党がいいとか安倍さんがダメだとか云ってるんじゃなくて、あたしも民主党のやり方はまったくダメだと思いますけども、民主党はダメだしマスコミが叩いているから自民党はオールオッケー、みたいな極端なのもなんかどうかなあと。
 だってさあ、ほんとに20年とか前かなあ、55年体制なんて云われてずーっと自民党が政権を握っていた時期があって、その時期に自民党がどれだけ叩かれていたかというのは割と記憶に新しいわけでして、これでさ、次の選挙でたとえば自民党が勝って自民党政権になったとして、その半年後にネット世論がどうなってるか見物だな、と思うワケですよ。
 なんていうか別にこれと云った思想があるわけではなく、ただ単に自分に気持ちのいい情報を求めて、右へならえでふらふらと感情だけで動き回ってるだけだから、簡単に「より気持ちのいい情報」にだまされちゃうし、それがゆえになんてかな、この手のひとの多くは、アンチ活動もできないんですね結局。
 いまだにすごく覚えてるのは、あれ2年くらい前でしたっけ、東京都の条例で2次元モノというかコミックやアニメの性的描写規制が厳しくなるみたいな騒動があったとき、ネットのひとびとの動きは「自民党の議員が規制に動いている。民主党は反対している。みんな民主党の議員に意見を送って動いてもらおう!」みたいな感じで。
 このとき既に、ネットでは(正確には「ネットでも」かな)「民主党はダメ」みたいな空気ができあがってた中でのことだったんで、これにすごく違和感があったんですよね。なんであれだけ叩いておきながら、そういうときだけそんな都合よく助けを求めようとするんだ? それこそ嫌ってるテレビや新聞とやってることたいしてかわんないじゃん、みたいな。
 フジテレビが韓国関係のドラマとかをいっぱい流してるってことに対して腹が立つ、とかっていうのを喧伝しておいて、じゃあフジテレビは徹底ボイコットで絶対見ないかっていうとアニメやバラエティだけは見てたりとか。
 もっと大きな枠だと、「マスコミは嘘ばかり」とうそぶきながら、自分が叩きたいものを叩くためにマスコミが発表する情報を参照したりとか。
 渇しても盗泉の水を飲まず、という言葉がありますけど、嫌うなら徹底的に嫌えというか、なんかそんな気がするんですが、そこまではっきりした思想があるではなくてさ、とりあえず目の前にある気に入らないものに対して文句を云ってるだけだから、二極分化して完全に正義の味方と悪をわけたうえでもそこまで悪に対してアンチにもなれないし、何ヶ月かするともうすっかり忘れて次の「気持ちがいいもの」にうつつをぬかしてる、みたいなのの繰り返しなわけでして。
 なんかね、それが最近の事件とか対外関係とかであからさまになってきて、そういうものに対してというか、なにかこう自分が「悪」だと勝手に認めたものに対しての悪意をむき出しにすることに気負いがなくなってきたっていうか、昔ここで書いた「カジュアル悪意」がすごく表面化してきた気がするんですよね。
 その悪意の結果起きることに対して責任をとるつもりもないし、そもそもそれが悪いことだとすら思っていない悪意ってんですかね、ネットの書き込みは便所の落書きだとうそぶきながら、正義の御旗を掲げて悪を追い詰めて自尊心を満たすその悪意というか。
 でもね、そういう悪意を安全地帯から気軽に外に向けるのは楽だし気持ちがいいだろうけど、それってふとしたきっかけで自分に向くんだぜ、ってことですよ。
 たとえばなにか事件が起きてネットで犯人探しが始まって、その結果それがたとえ誤認というかまったく自分と関係ないことであっても、ネット上でいきなり自分の住所や写真が「正義」の御旗のもとで公開され、それに対しての反論は数の力で押し切られる、みたいなことがさ、いつ自分に起きるかなんてまったくわからないわけですから。いまは叩く側かもしれないけど、いきなりある日を境に叩かれる側に回るかもしれないんですよ。いやほんとに。小中学校のいじめの構図といっしょだわな。
 そして、もしこれが間違いで、まったく無実のひとの実名や住所や写真をネットにさらしてしまったとしても、さらした側の人間というかそれを煽った人間というか、そういうひとたちは誰一人として謝らないし責任もとらないんですよね。というかたぶん悪いとも思ってないでしょう。だからこそ「カジュアル悪意」なんですから。
 もうね、そういうのがほんとに、たまらなく嫌なんです。
 なんかなんだろうな、ここ最近いろんな意味で鬱々しかったのってのも、割とそういうカジュアルな悪意にさらされすぎてなんかもう心がぼっきりいったってのもあってね。なんかもうね、大変なわけですよ。
 ……っていう今回のコレさ、けっこう前に第一稿っていうか、もとの文章を書いて公開するかどうか迷って一度はやめたんですよ。
 なんかこう上にも書きましたけど、結局のところ二極分化で考えられてしまうっていうか、じゃあお前はマスコミは全部真実だというのかとか、民主党を支持するのかとか、中国韓国の味方なのかみたいなそういうとらえられ方をするのは嫌だなと思って。そうじゃねえんだけどね実際は。
 まあでも、これだけ更新しないでほってあるとさすがに見てるひとも少ないっていうか昔からここを見てるような常連さんしか見てないだろうし、まあそういうひとならそうじゃないんだってことはわかるかなあってのもあったし、たまにはこういうのもいいかなってのとね。
 とりあえず、河島英五さんの『てんびんばかり』という曲がそういう意味であたしの人生の中で好きな曲ベスト3に入っている名曲なのでぜひとも聴いてみていただきたいわけです。普段あんまり本とか曲を人に薦めることはしないのですけれど、これはぜひとも知らない多くの人に聴いて欲しいなあって曲でして。

「どれほど自分が誰かを傷つけているかは知らんぷり 人には悪人と決めつけて正義の味方を探してる」

 なんちゅうか、悪意のない世界に行きたいものですね。

<近況報告>

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