07/24 「技能論」

 というわけで、もしかしたら昔に書いたような記憶もちょっとあるんですけど、なんてかな、なにか技術を習得している人が、なにかをさらっとやるのにすごく憧れるんですよ。
 言葉にするとちょっとわかりづらいんですけど云ってることは至極単純なことで、たとえばさ、絵が描ける人が、なにかこう時間を持て余してるようなときに、ペンと紙があったりなんかすると、そこにさらさらっと下書きとかするでもなくラフみたいなイラストを描き上げたりなんかして、しかもそれがまたあたしなんかが時間かけて描いてもかなわないようなクオリティだったりなんかしたりするワケですよ。別に本描きじゃないから消しゴムとか一切使わずに、迷い線もなく、イッパツでそういうのを仕上げるというそれがもうなんだ、もうな、むちゃくちゃカッコイイわけじゃないですか。
 まあ、本人に云わせれば手癖っていうか、別になんとなくすることもないからやったみたいなそういう程度のことだと思うんですけども、あれって結局相応の技術のひとつもないとできないことなワケですよ。あたしが同じことやったって、そうでなくてもたいしたことのない絵がさらにたいしたことがないものができあがるだけですからね。
 こうなんだろうな、あたしなんかがまず絵を描こうと思うと、なんていうんだろう拙いながら、まずはだいたいこういう感じの図柄っていうのを大雑把に頭の中に思い浮かべて、それをひいこら云いながら絵に落とし込んでいくみたいなプロセスになるワケなんですけど、こういう巧い人の落書き的なものって、そういうんじゃなくて行き当たりばったりっていうか、手が動くままに進めていってなんとなくできあがるけどそれがちゃんとバランスがいい、みたいなことなワケじゃないですか。なんてか脇から見てると、アレがすごいと思うんだな。
 まあ確かにね、中学生くらいの頃は授業中暇を持て余しすぎて、教科書が読めなくなるくらい落書きとかしてましたけど、そういうあれではないわけですよ。まあそのなんだ、太宰治をリーゼントにしたりとかみたいなのももちろんあたりまえのようにやってましたけど、それ以上に好きだったのは国語の教科書の「文章そのものを変える」というやつで、もはやそれをやってしまうと教科書が教科書として使えなくなってしまうんですがどうせろくすっぽ勉強なんかしやしないですしまったく構うことありません。そうして『走れメロス』の改変である『歩けメロン』という大作を完成させたりしていたのですが、ある日教科書を忘れた隣の席の松井さんに見せたところ、松井さん授業中に笑いだしてしまってですね、ついに先生にその教科書の存在意義を抹消する落書きを見つかってしまい、新しく買い直させられるという非情な事件がありまして、まあそのなんだ、そういうことからすればまったくなんの役にも立たない落書きだったわけですよあたしのは。松井さん元気かなあ。いま考えるとちょっと可愛い子だったと思うけど、まあ普通に考えたらいまごろ結婚して幸せな家庭を築いて子どもの一人でもいるんだろうなきっとな。
 あとあれですよね、同じようなことで云うと楽器ですよね。
 あたしの実家にはエレクトーンがあったり、電子ピアノがあったりしましたし、あとはアコースティックギターとかもありましたけど、まあ少なくともあたしはそんなもの弾けないわけですよ。弾けないんですけどなんとなく置いてあるみたいなそんな感じで、そういうことというのはどこの家にでもえてしてよくあることだと思うんですけどね、まだ実家に住んでた頃、友達とかが遊びに来るじゃないですか。んでな、楽器が弾ける人だと、そういうのを見て、楽譜とかなしに、練習もせずに、いきなり曲を弾きはじめるわけです。
 もうな、あれがむちゃくちゃかっこいいわけじゃないですか。しかもさ、なんかこうわけのわかんない曲じゃなくて、知ってる曲を弾いたりなんかするわけですこういうのって。
 そらもちろんね、上の絵とおなじでちゃんと練習して、きっちり仕上げた結果のものもカッコイイわけなんですけど、なんかなんだろうな、道具を選ばないっていうか、とりあえずそこにあるもので、さらっと見られるもの聴けるものができてしまうっていうそういうアレですよ。もうな、こんなもの目の前でやられてみなさいよ、あたしが美少女だったら即惚れて求婚して温かい家庭を築きはじめるくらいの勢いですよ。それくらいかっこいいもの。松井さんなにしてるかなあ。
 なんかこうなんだろうな、たとえば世界が滅亡するじゃないですか、っていう前提条件がもう頭悪いですけどとにかくそういうことがあったとして、こうなんだ、月が煌々と照らす真夜中の荒廃した都市の崩れかけた建物の中で、たったひとつ無事なまま残っていたピアノを見つけたと。調律もおかしい、鍵盤もいくつか取れかけたそのピアノで僕は優しいセレナーデを奏でる。それは全人類への愛しさと悲しみを込めたレクイエムとして、静寂に包まれた、廃墟と化した街に響き渡るのだった。みたいなことができるわけですよそういうことができれば。もうなに云ってるのかわからないもの。いつになく想像しにくいシチュエーションだなそれはな。
 これのかっこよさは、よくドラマとかである、飛行機の機内で急病人が出たときの「お客様の中にお医者様はいらっしゃいますか」に通じるものだと思うのですよね。仕事で来てるわけじゃないし、診療道具もろくなものがないかもしれないけど、とりあえずそこにあるもので応急処置したりとかそういうのですよ。
 まあとにかくね、憧れるわけですよそういうものに。そこに最低限のツールさえあればとりあえずなにかカタチあるものができてしまう、みたいな。
 あたしはなんてんですかね、絵も達者じゃないし、楽器なんかもまったくできないだもんでさ、なにかそういう感じのことでできることがあるのかなあと思ってみるとさ、これがまったくないワケだな。まあ、厳密に云えば篳篥はちょっと吹けるけど、そのなんだ、いきなりどこかに偶然篳篥が置いてある状況ないだろそんなものは。あれか、神社に参拝に行ったら篳篥担当の宮司さんが倒れちゃって祭事ができずに困ってるところにたまたま居合わせてなんとかこなして巫女さんと仲良くなるとかそういうあれか。ないだろそういうことは。一般家庭に使ってないエレクトーンが置いてあるよりはるかに少ないと思うんですよその可能性は。ていうか考えてみるまでもなく祭事で聴くにたえるほど達者に吹けねえなそもそもな。
 まあそのなんだ、結局のところ、即席でできることってのはイコール普通にやれば普通にできることなワケですからね、あれそう考えると普通に特技としてできることがなにひとつないってことなんじゃないのかあたしは。そら教科書買い直させる落書きくらいしかすることもないわなあ。

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