06/27「ハマり論」

 ということで、なんてんですかね、最近ちょっと考えるのは、ハマるとか飽きるとかそういうことなんですけども。
 あたしも今年の12月で36歳ですか、っていま書いてて思ったんですけどもう36なの下手すればここ見てる人で干支がまるまるひとまわり離れてるとかダブルスコアですって人とかいるんじゃないのかそんななのについぞ36のまま童貞できちゃうんですかそりゃ年もとるし頭もハゲるわなあ。ハゲは関係ないだろハゲは。
 いやまあそれはともかく、そら36年も生きてればね、いろんなモノにハマるわけですよ。
 古くはビックリマンね。もうね、すごかったもの。もう30歳以下の人にはわかんないと思いますけども、あんなシールに日本全国の小学生が熱狂してたんですよ。たかだか30円の菓子がどこ行っても売り切れてて、たまたま見つけるのを買おうとしても一人3個までとか制限されて、そんな中で財力のあるスネ夫みたいなやつがどこからか40個入り1200円の箱ごとまとめて買ってきて、1200円なんて今の金銭感覚からすればランボルギーニカウンタックLP500Sが買えるんじゃないかってくらいの大金ですからね、それがもうむちゃくちゃ羨ましかったりしたものです。
 もうちょっと近くになってくると『ドラクエ3』なんてまさに生き方変えたんじゃないかってくらいハマったわけで、おそらくいままでの人生で人生を変えた3本のゲームを選べったら間違いなく入ってくるゲームなわけなんですけど(ちなみにあと2本は『スーパーマリオ』と『プリンセスメーカー』だと思われます)、あれなんかもうちょっと依存症だったんじゃないかと思うくらい毎日毎日『ドラクエ3』のことしか考えてなくて、寝てるとき以外はほぼ8割方『ドラクエ3』のことを考えていて残りの2割が「腹減った」と「うんこしたい」だったという、ちょっとした中毒症状みたいになってて、なんというかこういろんな意味で暴発してたなあと思うところもあったりするわけですよ。
 んで、もうちょっと時代が新しくしてみると外せない『ときめきメモリアル』ね。
 これもうね、なんてんだろうな、もう寝ても覚めても『ときめきメモリアル』のこと考えてたし、グッズだのCDだのが出ればほぼ無条件で買うし、当時はインターネットもまだ黎明期でしたけどHTMLの本買って必死にタグ覚えてWEBページなんぞ作って(このページの原型ですね)、いかに『ときめきメモリアル』へ愛情を注いでいるかをほかのファンたちと競っていたわけですよ。
 ビックリマンシールや『ドラクエ3』の頃と大きく違うのは、このへんになってくると、もちろん社会人生活してる今とは比べ物にならないとはいえ、アルバイトとかして小遣いとは比べ物にならないくらいの収入がありましたからね、カネをそこに突っ込むことを覚えてしまうと云うか、もう生活自体が『ときめきメモリアル』漬けというかなんかそんな感じなんですよね。
 聴く音楽なんて『ときめきメモリアル』関係の曲ばっかりでしたし、見るWEBページも『ときめきメモリアル』関連のサイトか掲示板ばかりでしたし、寝ても覚めてもってのはちっとも大げさではなく、いま考えればやっぱり中毒であったんでありますなあ。
 とまあそんなような、それ以外にももちろん一時的なものとかも含めて数えきれないほどのものに「ハマって」きたわけなんですけども、さてここからだ、そのハマったあとのハナシなわけですよ。
 そういう「ハマる」ことがあれば、当然「飽きる」こともあるワケで、まあ「飽きる」まで行かないまでも生活の中心にそれがあった生活が一変するというか、たとえばそれまでグッズなんかもう入れ食いっていうか、なんでもいいからとにかく買いだ! ゲーセンのプライズ? 取れるまでやるぞ、くらいの感じから、ま、新作のゲーム出たら買うかなどうかな、くらいのテンションになるってのはままあることなわけです。
 なにかきっかけがあって「飽きる」こともありますけど、たいていは自然消滅というか、だんだんと熱に浮かされている感じがなくなってくるというか、そういう感じになるワケで、ビックリマンとかでも別に「もうビックリマンやめようぜ」って誰かが云ったわけでもなく、ビックリマンが子どもには手が届かない値段まで値上がりしたとか云うでもなく、ほんとにもうただ「飽きた」以外に理由が考えられないくらい一気にさっと波が引いたワケで、それ以来大量に買い込んだビックリマンシールの行方はいったい、みたいなことになったりもするわけです。アレだ、精神的廃墟になったんだよ、ビックリマンシールは。
 先にも書いたとおり、『ときめきメモリアル』の場合は使えるカネが増えていた分廃墟も大規模なものになって、これもまた具体的になにが原因で飽きたみたいなことがあるではないんですけど(正確には藤崎詩織アイドルデビューとかなんじゃそりゃな先走りによるものもなかったわけではないので、まるっきり外からの要因がゼロだったワケではないんですけど)、いずれにしてもやっぱりあるときから突然熱が冷めていって、大量に買い込んだグッズを前に途方に暮れるみたいな、そんなようなこともあるワケです。
 ほかにもLeafとかKeyとか、まあアレだ、同世代の人が通った道についてはだいたい通ってるワケなんですけども、何歳くらいからかなあ、ある年齢になったあたりからそういうハマり方はしないようになって、なんかこうなんだ、ただありもののイラストをプリントしただけみたいなグッズも、ファンディスクみたいなたいして中身のないゲームソフトでも初回限定版を血眼になって探して買うみたいな、そういうのはなくなってきたんですよね。
 だって当時ひどかったもんなあ。なんかさ、いまでもあるかどうか知らないけども、『センチメンタルグラフティ』とかだったかなあ、そういうアニメショップとか行くとさ、ありもののキャラクタ立ち絵イラストをPhotoshopで適当にデザインして印刷してラミネート加工しただけのカードが300円とかで売ってるワケだよ。でまあ、値段も他のちゃんとしたグッズが何千円とかするのに比べたら安いし買っちゃうワケだな。もう儲かって仕方なかったろうなアレ。
 そういうのがなくなってきたってののひとつには、物欲みたいなもの自体が減少してきてるというか、ああいやそう云うとなんか悟りを開いたみたいな感じになっちゃいますけども、こうなんてかな、たとえば好きな作家さんの同人誌とか、コミケに朝から並んででも欲しいみたいなそういうこと自体を思わなくなったってのはあると思うんですよ。まあ、普通に手に入れば欲しいけど、長時間並んだりしないと買えないなら別にいらないや、みたいな。
 んだから、「ハマる」というレベルではいろんな作品ありましたし、ここ数年でアニメも見るようになって、アニメについては放送後にDVDだのBDだのを買ったりするような作品もいっぱいありましたけど、じゃあそのキャラグッズを買い漁るかとか、コミケに行って同人誌買いあさったりオフィシャルグッズの行列に並んだり、なんかそういうのは別にいいやみたいに「諦める」能力を身に付けたワケだな。昔はこの「諦める」のができなかったからね。
 いまだとあたしの場合、リアルタイムで『アイドルマスター』がほかのファンの人とは数年遅れで非常にホットなことになってますけども、じゃあもうグッズなんでも買っちゃう!みたいなことになってるかって云うとそんなことはないっていうか、考えてみればゲームソフトはともかくとして、本とCD以外のグッズ買ったことねえや。貰い物のグッズが若干あるくらいか。
 コレね、いろいろ考えてみると、確かに先に書いた物欲関係のこともあるんですけど、そもそも根本的に「ハマり方」が変わってきたんじゃないかなと思うんですよね。
 たとえば『ときめきメモリアル』にしても『To Heart』にしても、もちろんお話やゲームそのものが楽しかったってのはありますが、なんかそれ以上に意識にあったのはキャラクタだった気がするんですよ。『センチメンタルグラフティ』なんかキャラクタ以外推す要素皆無ですし。
 それがね、あるときを境に、作品そのものをトータルで好きになるようになって、それがキャラクタ押し的なものを越えたときがあったんだな、きっと。ああコレ難しいな云い方が。キャラクタがどうでもよくなったってそういうことじゃなくて、優先順位と云うか比率の問題です。根本的にキャラクタが魅力的じゃない作品に魅力なんかないからね。
 だから作品の本質的なところというか、すごく好きでもアニメならBDとかCDは買うけど、それ以外の極端なこと云えば抱き枕とかあるいはフィギュアとか、なんかそういうのについては欲しいと思わない、みたいな。
 つまりね、いま『アイドルマスター』にうつつを抜かしてるとは云っても、確かに「好きなキャラクタは?」と云われたら春香さんですって云うくらいにはそういうのありますけど、それ以上にこの作品については、いちばんは音楽というか楽曲というか、そういうところが好きなんですよあたしは。だから前みたいに、春香さん大好きだから春香さんのWEBページを作ろう!とか思ったりしないワケで、まあいまそういう個別キャラクタの応援WEBページみたいなのあんまり見ない気もするがな。あるのかな。
 だもんで逆に、生歌にはすごく興味があるから、昔はぜんぜん興味がなかったライブとかそういうのはすごく行きたいわけです。チケット取れなかったけどな。
 だからさ、たとえばだよ、同じ『アイドルマスター』が好きな人がいて、その人とハナシをするってときも、いわゆる「萌え語り」ってんですか、「春香さんのああいうところが可愛いよね!」みたいなのって、今はもうできないと思うんですよ。昔はそれこそ美樹原さんの可愛さだけで小一時間は簡単に語り合えたと思うんですけど。
 照れ臭いからとかではなくて(それも若干ないわけではないですが)、そういう作品の見方をする回路が焼け落ちてしまったっていうかな、キャラクタかわいい!も含めてその作品だよね、みたいな感じ、ってんですか。
 だから逆に、『アイドルマスター』で云えば、「あの曲いいよね!」って云うんであればいくらでも語れるわけですよ。その中にはたとえば「アニメのあのシーンでのあの曲の使い方すごいいいよね!」も含まれるから、そこから包括的にキャラクタや作品を語るってのはできるんですけど。
 んでね、ってなことからいくとさ、それなら「買いたい」グッズってのは、CDとせいぜいアニメならBDだけになっちゃうんですよね。
 ライブ行きたい、っていうとなんか一気に濃くなる気もしますが、それって別に生歌聴きたいからであって、じゃあたとえば同じキャストのトークイベントがあったら行きたいかってと別にそうでもないとか。
 まあ、悪く云えば情熱がなくなったとも云えるし、よく云えば冷静になったとも云えるし、そのあたりは難しいところではあるんですけども。
 あとさ、とくに『ときめきメモリアル』の頃に顕著でしたけど、あの頃あれにハマってたわたしくらいの年齢の人って、割とどう云ったらいいんだろ、そのキャラ好きさを競ってて、それが自分の存在意義になってるところが少なからずあったと思うんですよ。
 たとえばさ、俺は藤崎詩織がこんなに好きなんだ!って人に対して、いやいや藤崎詩織も可愛いけど美樹原さんはもっとこういうところが可愛いんだ!みたいなやりとりもあったし、数多くの個人サイトに「人気投票」かなんかがあったりして覇権を競ってたりして、でも別にそれに勝ったから威張るとか云うんでもないし、単にそれって「自分がどれだけそのキャラクタが好きか」で示されるアイデンティティみたいなもんだったんだと思うんですよ。
 これちょっとわかりづらいハナシかもしれないんですけども、云ってること自体は至極単純なことで、「俺はこんだけこの子がこんなに好きなんだ!どうだ!」みたいなことがパースナリティになる感じってのかな。
 だからその子のためにカネをつぎ込むのは、いわば自己を確立するための手段であって、単に「グッズを数多く集める行為」ではないワケです。「グッズを数多く集めることで、そのキャラクタがほかの人よりも好きだということを示し、そのキャラクタがこれだけ好きなんだ!というアイデンティティを確立する」ための手段なんですね。
 上で書いたラミネートカードみたいなのもさ、まったく無意味かってとそうではなくて、コレを定期券入れに入れておくことで「俺はこんなにこの子が好きなんだ!」みたいなのを主張できるわけで、そのための簡易的なツールだったんじゃないかな、と思ったりはするんですよね。ああそうか、んでコレが極端に外向きになると痛車とかになってくるのかなあ。
 難しいのはね、これを人に見せて「どうだ!」ってやるってことで主張するだけではないってことで、こっそり定期入れの中にラミネートカードをひそませておいて、それは誰にも見せないんだけど、自分の中だけで「俺はこの子がこんなに好きなんだ!」っていうのを満足というか納得させるというか、それもアイデンティティの確立なんだと思うんです。
 んでな、そういうアイデンティティと作品への「ハマり」が完璧に切り離されるときってのが、ふと訪れるんですよ、不思議なことに。
 あたしが20歳前後の、『ときめきメモリアル』というか美樹原さんにそういうハマり方をしていた当時、友人に同じ『ときめきメモリアル』好きで今のあたしくらいの年齢の人がいまして、その人はやっぱりちょっとあたしとは違った感じのハマり方をしているなあってのは当時から思ってましたから、たぶんそれはいまのあたしのメンタルに近いんだと思います。
 そうなるとたぶんだけど、若い人のメンタルなんて今も昔もそんな大きくは変わらないだろうから、いまでもそうなんでしょう。
 それこそ『アイドルマスター』だってそうなんじゃないかなあ。あたしが『ときめきメモリアル』でそうだったように、特定のキャラクタグッズを買い集めたりすることでそれがアイデンティティになってる人もぜったいいると思うんですよ。
 でまあ、それを批判するかってとそんなことなくて、むしろ真逆。それでいいと思うんだな。いわゆるオタク的に生きるんであれば、そういうハマりかたも絶対必要だって。達観してそういうのカッコ悪い、なんてシニカルになるのはあとからいくらでもできるんだから。
 っていうのはさ、特に若いころなんてカネはないけど暇はあるもんですから、そこでこう俺は300円のラミネートカードしか買えないけど、この限られた資源でキャラクタに対する愛情を示すにはどうしたらいいか?みたいなことを考えるようになって、そこでたとえば必死に絵を練習して同人誌を作ったりとか、あるいはショートストーリを書いたりとか、「自分にできること」の中で高いグッズを蒐集することに代わる手段を探そうとするワケでな。
 そこで中途半端にカネがあっちゃったりすると、高価なグッズを買うことで満足してしまうのでなかなか難しいところではあるんですけど、その中でキャラクタに対する愛情みたいなものの注ぎ方を考えることでいろいろと発見もあると思うんだよ。
 その「好きだ」って気持ちってのは、ものすごいエネルギになるんじゃないかなと思うんですよ。それって絶対、新しいものを生み出したり、あるいは将来的に生み出す訓練になるから。いやほんとに。
 その手のものはあたしもそうでしたけど、将来的には黒歴史ってんですか、そういうのになりやすくはあるんですけど、いいじゃない黒歴史だって。黒歴史だって歴史だ、黒歴史があっていまがあるんだぜ。
 あたしだってね、昔の文章とか同人誌とかものすげえ恥ずかしいし到底見られたもんじゃないけど、じゃあそれを否定したいかってとそんなことはぜんぜんないわけでな。さすがにもう一回公開しろって云われたら断るけどもさ。
 コレね、繰り返しになるけどもさ、じゃあ『アイドルマスター』好きだって云ってて、そのうえで春香さん好きだって云ってて、その「好きだ」の度合いがえらい低いのかってとそうではないんですよ。ただ、それを「好きだ」というのを語るために好きになる、という要素が昔はあったけど今はない、というハナシでして。
 だってあれだもの、実際昔ここに書いてた日記(というコンテンツがあったんです、昔は)とかを見返してみるとさ、ことあるごとにすごい勢いでなんとかちゃん可愛い、をうわごとのように繰り返してるわけですよね。もちろんもう今見ると顔から火が出るくらい恥ずかしいんで、出せって云われたら絶対お断りですけども、じゃあ今あれを春香さんで書けるかって云ったらたぶん無理なんですよ。
 なにかにハマるってのはなんか度合いがあって、「その作品が好きでゲームをプレイしたりアニメのOAを見逃さない」という第一段階、「その作品のBDやDVD、CDなんかを買うけど、特定のキャラクタにすごく思い入れるわけではない」という第二段階、「特定のキャラクタに思い入れができる」第三段階、そして最後に「そのキャラクタが好きである証明のため、そのキャラクタのグッズを買いあさる」第四段階……というようなアレなんですけど、この中で重要なのは第三段階と第四段階が分かれてることだと思うんですよ。
 昔は簡単に第四段階まで行けたっていうか、第一段階を超えて第二段階まで行ってしまったら自動的に第四段階まで行ってたみたいな勢いだったんですけど、年を経るに従って、普通に行っても第二段階まで、今で云う『アイドルマスター』みたいなハマり方をしてようやく第三段階。ここからもうひとつ、第四段階まで行くのは、もはや奇跡みたいなことがいろいろ起きないと無理なんだと思うんですよね。
 だから、決して『アイドルマスター』のキャラクタに思い入れがないワケではないんです。じゃあグッズ買いあさるかってとそうではない、みたいな、ごっちゃにされがちな第三段階と第四段階を分けて考える必要があるんではないかなとこう思うワケですね。
 もちろんね、今までもそうだったように、何年かしたら『アイドルマスター』だって飽きちゃって、いま買ってるCDとかも廃墟になっちゃう可能性だってありますし、そりゃもうそういうものでしょうけど、繰り返すけどもさ、それって絶対無駄じゃないんだよ。そういうのってすっごい大切なんだと思うんだよな。
 ……でも結局、そういう「熱心にハマる」ものよりも、「なんとなく好き」くらいのもののほうが長く好きでいられるんですよ。神社巡りとか記紀神話とか相当長いことやってるけど、飽きるかもなあなんて思ったこともないし今後飽きるとは思えないもの。もちろんそういう趣味と個別作品への「ハマり」を同じに考えることはできないけども。
 まあアレだ、いま熱心に好きなキャラクタがいるっていう若人がこれを読んでたら、それを大事にするといいと思うよ。それぜったい十年後には黒歴史になるけど、それを恥じることはないんだぜ。いやマジで。
 そんなことなんだかんだ云っても春香さんは可愛いんですけどね。台無しだな。

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