ということで、ようやく仕事も一段落し、夏休みが取れるようになったっていうか取らないとまた使わないまま消滅してしまうため、これはひとつ旅行へ行こうじゃないかと思い立ちました。
とりあえずどこへ行くかについてはまだ行ったことのない場所ということで「青森」「四国」のふたつが上がったのですが、四国はちょっと行きたい場所がまとまりきらず、結果として青森へ行くことに決めたわけです。旅行前日に。
最初は、とりあえずもうちょっと幅広く「東北」という感じにしようかなあとも思ったのですが、青森県内だけで行きたいところを挙げてみると、これがもうみごとに場所が点在しており、どう考えても2泊3日のスケジュールで回りきれるようには到底思えなかったので、行き先はもう青森限定です。2泊3日でここまでひとつの県限定で攻めたのは、島根・宮崎についで三県目でしょうか。
ただ、上記ふたつに比べて見るポイントが大幅に少ないのが特徴的で、要するに「見たい」ポイントがばらばらに存在しているわけですね。ルーティングが大変だった。
休みを取ったのは先週の木曜・金曜なので、実質的に4連休なのですが、日曜日までフルで使うと翌日会社行きたくない病がマックスで発動しかねないので、水曜深夜出発→木曜朝到着、土曜日夕方現地出発→土曜深夜東京着、といういつもの2泊3日スケジュールです。
友達と集まって何人かで旅行に行くときは「ただ騒ぐ」だけなのが多いのでいいのですが、一人で行く場合にはなにか明確にテーマを作っていかないと漫然としたものになってしまう、というのがあたしなりの旅行セオリーで、たとえば宮崎なら「日向神話と天孫降臨、古事記」とか、出雲なら「出雲神話と古事記」とか、岩手なら「遠野物語と民話」とかそんな漠然としたテーマを作ってから回っていくわけですが、今回は「ミステリーツアー」です。
いやべつにどこへ行くのか一切決めずに行くというわけではなく(それはそれで楽しいのかもしれませんが)、アラハバキとかそういう「記紀」から外された文化ですね。
アラハバキというのは、かつての大和朝廷によって作られた「日本書紀」には「まつろわぬ神」として描かれている文化圏で、かつて東北にあった大きな文化を今に伝える証左であると言われています。
もともと、大和朝廷の文化が及ばない「蝦夷」であったがゆえに、それを今に伝える文献はあまりなく、あっても「東日流外三郡誌」みたいな偽書だったりしてよくわからないわけですけど、じゃあそういった文化に実際に触れてみようじゃないか、とこう思ったわけですね。
というわけで、水曜日の深夜、厳密には木曜日の深夜0時に出発。ほんとはもうちょっと早く出たかったんですが、錦糸町まで首都高速に乗ったところで忘れものに気づき一度戻ったりしておりましてですね。だから時間ないってのに。
首都高速から東北道へ入り、ひたすら北上。さすがにこの時間だけあって渋滞もなくするすると走れます。
当然、水曜日は普通に仕事だったわけで、ほぼ貫徹状態で運転することになり、こりゃどっかで仮眠取らなきゃいかんだろうなあということ前提でのスケジューリングだったのですが、なぜか割と意識がはっきりしていて、トイレと給油以外ではノンストップ。岩手の北部あたりで白々と夜が明けてきて、青森に入ったところではほぼ完全に明るくなっているような状態。
青森東インターで降り、830円とやけに料金の高いみちのく有料道路を走り、下北半島の国道をひたすら北上。走りに走って700キロ以上、朝9時半に到着したのが
恐山です。
やっぱりミステリースポットといえばココでしょう。昔から一度行ってみたかった場所でしたが、どう見ても尋常でなく距離があったので行けないでいたのです。
実際、高速道路を降りてから100キロ以上一般道を走るわけで(と云っても田舎道なのでそんなにストレスはないのですが)、これはやっぱり結構大変です。
で、恐山。まず無愛想な受付の人に入山料500円を払って入ると、
硫黄の強烈な匂いが漂ってきており、大きな本堂が見えてきます。
そこを超えるとなんていうかもう、もうちょっと山深いようなところを漠然と想像していたのですが、実際はまるっきりそんなことはなく、
荒涼とした岩山が広がる大きな
広場、といった感じの風体でした。もちろん山ではあるのですが、ここ自体は登山とかピクニックとかそういう言葉を想像させるようなあれではまったくなく、普通に歩けるようなところです。
とはいえさすが恐山。そんな中にも不気味さ……というよりも、なんだかなんとも云えない
不思議な感じが漂っており、「死者がここに集まってきているのだ」と云われたら、ああそうかもなあ、と思えてしまえるような場所です。
そこここに刺さっているこの
風車が不思議で、ほとんど風なんか感じられないのにすごい勢いで回り出すんです。もちろん電気の仕掛けがあるとかいうことではありません。微細な風でも回るように作られてるんだとは思いますが、これがカラカラと回っている様子は、なんだかもう本当にあの世に迷い込んだような気分になります。
まあ「血の池地獄」の鉄泉が枯れてしまって赤い水が出なくなり、すっかり
無色透明の水が出るだけの池になっていたりとちょっとがっかりなポイントはあるものの、撮ったらいけないような気がして写真は撮りませんでしたが、実際に亡くなった人の名前の書かれた表札や遺品などがあちこちにあり(後から調べてみると、どうやら近々にそういう祭りがおこなわれていたようです)、中には小さい子どものものだろうなあってものとかもあって、そのへんがさらに不思議というかなんとも云えない感じを漂わせます。
そういうのを含めて、なんとなく、気軽に入っていい場所ではないような気はしました。だから「
霊山」なんでしょうけどね。観光バスで集団で乗りつけて面白い場所かと云われたらそれはちょっと微妙なところですが、一人で行く旅ならここは趣深くていいところではあると思います。思いますが、なんというか、そういうのを信じていないあたしですらちょっと不思議な気分になる場所ですので、自称霊感がある人とかはむしろ行かないほうがいいでしょう。症状が悪化しかねません。
そんなこんなでしばらくその雰囲気に呑まれた後、さらに国道を北へ北へ。
ここもまた国道を100キロ近く走り、到着したのは本州最北端の地、
大間崎です。
大間と云うとマグロばかりが有名で、本州最北端は竜飛岬だと思われていたりするものですが、地図を見ていただければわかる通り、この大間のほうが北に位置しています。
実際、岬からは
北海道がはっきりと見えており、これへたすれば泳いで行けるのとちがうかなあ、みたいな距離に感じられます。いや絶対無理だけどね。
ここがなかなかいいところで、ああついにここまで来たんだなあというような思いもあり、しばらく海から北海道を眺めておりました。またここが辺鄙なところで静かなんですよ。
で、時間としてはちょうど昼時で、これはもうちょうどそろそろシーズンインですし、マグロを食べてみようじゃないかと。いくつか店はあったのですが、その中で通り沿いの「大間産マグロを使っています」という看板を掲げている店に入ってみました。
頼んだのはマグロ丼1800円也だったのですが、実際に食べてみると……これ、ほんとに大間産か?という感じ。
いやま、よしんば大間産だったとしても、一度冷凍してないかなコレ、みたいなそんなような。
ぶっちゃけた話、スーパーで閉店間際に半額150円で買った刺身とあんまり変わんない。 正直これで1800円は高いなというような。
あたしの味覚なんて当てにならない、というのもあるでしょうけど、魚介類は結構、素人でも味の差異がわかりやすいもんなんですよ。いいものは明らかに「これは違う!」ってのがわかります(これは翌日改めて痛感することになります)。
でもコレにはそれがないんです。観光地ならではの掴まされ系かも。ちょっと失敗した。
まあ、大間崎自体はいいところだったので、結果としてプラマイゼロだと思うことにして、青森市内目指して再び下北半島を南下。
国道を通り、さっきのやけに高い有料道路を回避して国道を走り、16時に青森市内の
ホテルに到着です。
一日目は結局恐山と大間にしか行ってないわけですけど、これはもう完全に想定内で、下北半島を組み込めば間違いなくこうなるだろうなというのはわかっていたわけでして、だからこそそれほど下北半島から離れておらず、かつ次の日に動きやすい青森市内のホテルを予約してあったわけです。
例によって例の如く、泊まる場所にはお金をかけたくないというのがあったので、普通のビジネスホテルだったんですが、この手のホテルはノートパソコンさえ持って行けば、最近では普通にネットが使い放題だったりするのが非常にありがたいわけですよ。
で、こういうところに泊まったら夕食はなしで近くの美味しいお店で夕食を食べるのがいいわけですけど、ここがまた青森市の中心部からは外れているけどそれなりに都会、という場所で、なんせホテルの隣がヤマダ電機ですからね、地元名産の食べ物屋とかがあるような雰囲気じゃないわけです。
でももう貫徹で走り続けた疲れもあって店を探して歩き回る元気もないし、面倒なのでホテルの目の前にあった丸亀製麺でとろ玉うどんを食べてきた。間違いなく観光で行った青森で食う食べ物ではないな。
そんなこんなでぐっすり眠って一日目終了。
二日目、ホテルで味も素気もない朝食をとり、出発は9時。
すぐそばにある
三内丸山遺跡が目的地です。
この三内丸山遺跡、縄文時代前期の貴重な研究資料が発掘されたと近年話題になった場所で、東北地方に栄えた文化……まあ、ここではアラハバキの文化を探るには欠かせません。
ちゃんとした
展示館も併設されていて、しかもここが無料というのがまた気前がいい話。いやね、ほんといい場所なんですよここ。
実はわたしはあまり縄文時代の知識がなかったんですが、縄文時代って実は1万3千年も続いた文明で、その中でもいろいろな変遷が見られるんだそうです。なんせ西暦ができてからまだたったの2000年ですからね、その長さがわかろうものじゃないですか。あたしの童貞歴33年なんてたいしたことではないようにも思えてくるというものです。いやそれ大問題だよ君。
で、この三内丸山遺跡というのは縄文時代前期〜中期の遺跡で、この期間にはものすごく栄えた跡があるにも関わらず、後期になるとぱったりと生活の跡がなくなってしまうんだそうです。
いずれにしても、このあたりに、後に「蝦夷」と呼ばれることになる大文化圏があったことはほぼ間違いなさそうで、それはもしかしたら大和朝廷が「まつろわぬ神」とした人々の源流になっているのではないかと思います。
発掘跡も
大きな公園のようになっているのですが、なにしろここは展示館が素晴らしいです。説明文がわかりやすく、かつ非常に歴史のロマンをかきたてるような感覚が味わえるのではないかと思います。
そこからは今度は下北半島の西側、津軽半島の東側を北上し、着いたのが
竜飛岬。
大間崎に比べてこちらは比較的有名でしょう。『津軽海峡冬景色』なんかにも出てきますし、青函トンネルもこの地下から北海道へ向かっています。
まあ、大間崎よりもこちらの竜飛岬は高台にあるので
海が見渡しやすく、いかにも
北限に来たのだという印象を受けやすいのも確かで、そのせいかこちらからもまた北海道を間近に見ることができます。
実際、ここから見る
津軽海峡はほんとに綺麗で、昨日の大間崎ともまた違った趣があります。海が綺麗なのもいいですね。
ここにも大間崎のように食べ物が食べられる土産物屋みたいなのもあったんですが、昨日の反省を生かしてここはスルー。昼時だったんで何か食べたくはあったんですが。
この竜飛岬にあるもうひとつの名物がこの「
階段国道」。そりゃなんだと云うと
見ての通りの階段なんですが、この階段が国道に指定されているのです。もちろんただの階段なので車の通行はできません。「国道なのに車が通れない道」として(一部の道路マニアには)有名な場所です。
せっかくだから降りてみたくなるのが人情じゃないですか。で、降りたわけですよ。そりゃね、岬の上から見たときに、ああありゃ相当距離があるなあというのはわかってましたし、実際降りはじめてしばらくしてから、ああ帰りはコレ登らなきゃいけないんだなあ、なんてことに気づいて後悔しましたよ。
展望台中腹からこの階段を下りていくと、
竜飛岬の漁港へ通じる道に着くのですが、この
道沿いがまた風情あっていい感じで、太宰治『津軽』の舞台となった旅館があったりして
記念碑があったりもするんですが、それよりなによりあの階段をもう一度登ることを考えるとそれがしんどくてたまりません。
実際に登り始めたらもう1分で後悔しました。途中までは緩やかな、
ただの軒下みたいな緩やかな坂なんですが、階段がはじまってからはもう急峻なことこの上ない。途中で休もうかとも思ったんですが、止まったらもう二度と動けなくなりそうな気がしたのでひたすら登り続けました。もうなんか1年分くらいの運動をした気がする。行きも帰りも誰ともすれ違わなかったですが、平日で人が少ないのもあるでしょうけどまああそこを歩こうとは思わないわな。
しばしそこで岬を堪能した後、今度は津軽半島の西側をぐるりと南下していきます。途中、三内丸山遺跡で貰ったパンフレットに書いてあった「亀ヶ岡遺跡」にも寄ってみたんですが、ここはただ単に
土偶のモニュメントが置いてあるだけの場所で、遺跡のあった場所は小さな神社になっているようでした(なぜか雷電神社)。
特に見るべきようなものもないので、五所川原市内にある太宰治生家「
斜陽館」へ。
あたしは別に、太宰治という人にはそれほど思い入れがあるわけではないのですが(もちろん、青春時代の苦い思い出として、『人間失格』あたりを読んで軽く鬱になったりはしましたが)、ここもなかなかに趣深いです。
結局、これはいいことでもあるわけですが、太宰治という人があそこまで大成したのも、もともと裕福な家庭環境あってのことだなあというのが実感できます。よくも悪くも、わがままお坊ちゃんな一面があるんですよね。
まあ、そりゃそうですよね。 家が貧しかったら、精神的に病んでいるヒマなんてありませんから。太宰治という人の作風は、ちょっと病んでいるところから生まれてきているようなところがありますし。
で、この晩のホテルは、そこから南にある弘前市内にとってあったんですが、ここで「俺今日はホテルの朝食以外なにも食ってないな」ということに気づくわけです。
いや、なんか食いたいものがあったら適当に停まって食おうと思いながら走ってたんですが、結局なにもないまま来てしまった感じですね。
昨日は大間でちょっと失敗したので、せっかくだし旨い海産物が食いたいと昨日の夜から思っていて、その日は車の中でiPodに入れてあった伊集院光さんのラジオを録音したものの中から青森に行って旨いものを食ったという話を探して聞いていて、それをiPhoneで検索してみると、どうやらその店が青森市内、青森駅の目の前にあるらしいということがわかりました。
さてここで二択です。もともと青森市内にはもう戻るつもりはないようなルーティングをしてきたわけですが、ここでそのルーティングを崩してでも戻ってそれを食ってくるか、あるいは諦めて弘前のホテルに向かうか。
ためしにナビにそのお店の住所を入れてみると、高速道路を使っても1時間以上かかると出て、ホテルのチェックインの時間にはぎりぎりになるし、なにより効率は著しく悪いわけです。
でももう、ここまで来て諦めたら絶対後悔する!と思い、戻るつもりのなかった青森市内へ戻ることにしました。
浪岡ICから高速道路を北上、昨日泊まったホテルを横目に青森中央ICで降り、そのまま微妙に渋滞した感じの中央通りから青森市中央部へ。
青森駅前の駐車場に車を入れ、いざ商店街の中の店があった場所に行ってみると……ないわけです。
微妙にズレてるのかな?と思って近場をあっちこっち探してみてもやっぱりない。iPhoneで調べた写真だと間違いなくここ、という場所なのにない。時間はそのとき18時くらいでしたから、閉店にはまだ早いし、と思ってふとその店の横にあった看板(店に直角に立っていて気付かなかったのです)を見ると「移転しました」という無情な張り紙が。
その住所を調べてみると、どうやらここから車で1時間くらいの場所。ここでもう一度二択です。もう諦めてホテルに戻るか、意地でもそこへ行くか。いやまあ、ここまで来て諦めるのはもう嫌だったんで1にも2にもなくその住所をカーナビに突っ込んでましたけど。
だってあれじゃないですか、わざわざ青森市内まで時間と金かけて戻ってきて、それでやっぱり食えませんでしたなんて笑い話にもならんじゃないですか。
再び青森中央ICから高速道路に乗り、南下して黒石ICで降り、一般道をひた走ります。
その途中で気づいたんですが、ホテルがある弘前とこの店が移転した藤崎という駅は直線距離で5キロくらいしか離れておらず、結局五所川原から直接こっちに向かえばよかったんじゃないか、と。
まあそんなこと云っててもしょうがないんですけど。
で、やっとのことで辿り着いたのが、藤崎駅からちょっと離れたところにある「いろは食堂」という店です。
外見はなんかどこにでもある店で、ラーメン屋の2階にあったりして「おいほんとにここが旨いのか?」と疑いたくなる感じ。階段を上った入口には
コレが貼ってあって、ああ、ほんとにここなんだというのがわかります。
店にはほかに客はいなかったんで、とりあえず適当なところに座って海鮮丼(2600円)を注文。正直高いっちゃ高いんですけど、結果としてはコレが大正解。もうね、すごい旨いの。あたしは味覚に関してはそれほどこだわりがあるわけではないんですけど、それでも「コレは違う」というのがはっきりわかる感じ。特にホタテがすごい味が濃くて旨いのなんのって。
なんせ客はあたし一人ですから、店の親父さんがこちらに食べる暇さえ与えてくれないほどに話しかけてくれるんですけど、それがまたいいんですよ。話もすごくいい味出しててぜんぜん嫌じゃない。
それでいて「コレ食ってみて」みたいな感じでイカのわた(これもすごい旨かった)とかリンゴとか出してくれて、しかもお土産にとツル割れリンゴ(蜜が多くてツル部分が割れてしまっているリンゴで、味はいいのに見てくれが悪いので東京には流通しないらしい代物)をまるまる一個貰ったりもして、すごい気持ちいいの。
親父さんの話を聞いていると、すごい拘って作っているのがよくわかるし、それで味が伴ってなければ「なに云ってんだ」ですけど、実際に旨いんだからどうしようもないんですよ。実際、あたしのように伊集院さんのラジオを聴いて来たという人も多いらしいです。
ここはね、青森に行く機会があったらまた行ってみようと思いました。平気で青森まで来て丸亀製麺のうどん食ってるくらい食に拘りのないあたしにそう思わせるんだからこれはわりとホント。そのときには、伊集院さんが食べたという「白子丼」を食べてみたいなと。決して安くて手軽に、という感じではないですけど、旨いものが食いたければここはお勧めです。
で、値段以上に満足してホテルへ戻り、なぜかなかなか寝付けずに深夜1時頃就寝。
いよいよ最終日、三日目。
出発はやっぱり9時。国道を東へ東へ。
ぼちぼちと
紅葉のはじまりつつある
十和田湖沿いの山間の道を走りぬけ、この間で車の走行距離が
10万キロを迎えたり、途中道の駅で野菜の即売会をやってて、キャベツが1個80円という破格の安さだったので2個買ったりしつつ、到着したのは新郷村戸来「
大石神ピラミッド」です。
なにかというと、これが
ピラミッドです。なんと日本にもピラミッドがあったのです。酒井勝軍という人が「竹内文書」の記述に基づき調査をしたところ、この山が実はピラミッドであるということがわかりました。頂上にあるこの石は正確に東西南北を示しており、なんと出自はエジプトのピラミッドよりもさらに古いものです。
……なんていうことがあるはずもなく、いやまあ実際に
そういう説明が書いてあるのですがたぶんいわゆるトンデモ説で、まあちょっとした神奈備ではあったのかもしれませんが、ピラミッドではないと思いますよはい。
いちおう観光スポットなのに、ここまでの道は道路を外れた
舗装もされてない荒れた林道の途中にあり、車は泥だらけになるわ下回りは擦るわえらい騒ぎ。
こんな看板が
立っていますが、このほかの石を見るための散策路は草が生えまくっていて歩けるどころではありません。しかもよく見ると
こんな落書きしてあるし。わかってるから。わかってて楽しむもんだから。
ピラミッドを堪能したあと、そこからわずかに東に行ったところに今度は「
キリストの墓」があります。
これはなにかと云うと、これが
キリストの墓です。キリストといったらあのキリストです。「竹内文書」によれば、ゴルゴダの丘で磔にされたキリストは実は身代わりとなった弟のイスキリであり、その後キリストはアラスカに渡ってから八戸港から日本に入り、戸来で過ごしてその最期をここで迎えたのです。だからこそこの戸来にはキリストの墓があり、その横にはイスキリを祀る墓もあります。
また、この地に伝わる盆踊りの「
ナニャドヤラ」はヘブライ語で解釈することができ、これを訳すと「御前に聖名をほめ称えん」という意味になるということを川守田英二という神学者が証明していますし、このあたりの沢口家という家の家紋は星のマークで、これはもう云うまでもなくユダヤのダビデの星なのです。
……なんていうことがやっぱりあるはずもなく、そもそも「竹内文書」というのは、話せば長くなるので省きますがいちおう『古事記』よりも古い古文書ということになっているものの、その古さも含めて今では明治以降に成立した偽書ということでほぼ確定してしまっている代物でして、当然書いてあることをそのまま信用はできない、ということです。
上の「ナニャドヤラ」も、実際はこの地方の方言がもとになったものであるとかいう説のほうが有力ですし、沢口家の家紋というのも見てきたのですが、これが本当に「★」そのもので、ダビデの星とは似ても似つかぬ代物。説明書きには「ダビデの星そのものを貼るのは恐れ多いのでひとつ先を減らした」みたいなことが書いてあったりしますが、やっぱり無関係だと思います。
しかしまあ、このあたりの人は大マジです。この墓の横には「キリストの墓伝承館」なる博物館がありまして(
こんなものがあるところがちょっと愉快ですが)、キリストがここに来ていたんだというのをまことしやかに説明してくれています。中のビデオでは「確かに突飛な説ですが村人たちはこの言い伝えを純粋に信じているのです」とかナレーションが流れてきていや信じちゃだめだろ。
このキリストの里伝承館、見ようと思えば3分で見て回れるくらいの狭さなんですけど、入館料が200円かかります。でもある意味こんなに面白いものはないと思いますので(いやまあ、そのまじめさみたいなものも含めて)、ピラミッドとあわせてここもオススメしておきます。かなり辺鄙なところなので行きづらいのが欠点ですね。
ちなみにこのキリストの墓には
こんなのが置いてありまして、これは「イスラエルのエルサレム市から寄贈された石」だそうです。イスラエルの人は怒らなかったんですね。心が広いです。じゃあなんで何千年も戦争してんだって話ですが。
実はここも「昔から一度行ってみたかった」場所でして、もちろんそんなトンデモ説を信じているわけではないのですが、なんてかいったん見てみたいじゃないですか。
ここもじっくり堪能して、さらにそこから東へ。
途中、道沿いの神社へいくつか立ち寄ったりしつつ走り抜けると、だいぶ田舎の景色が一気に開け、八戸市に到着です。
とりあえず、八戸自動車道から帰ることは決めていたので八戸に出るのは確定だったんですが、八戸で特にすることが見つからなくてどうしようかと思って前日の夜にネットでいろいろ調べてみたところ、ここには実は「
是川遺跡」という遺跡と展示館があるんだそうです。
三内丸山遺跡が縄文時代前〜中期の遺跡だというのは上に書きましたが、この是川遺跡は後期の遺跡です。13000年の歴史が青森県内だけで一気に見られるというのはこれはある意味すごいことです。亀ヶ岡遺跡も後期の遺跡なんですが、ここはもう遺跡っぽくなかったので。
是川遺跡にある展示館も三内丸山遺跡と違って200円かかりますが、三内丸山遺跡を見たらこっちも見ておきたいところですね。やっぱりその13000年の歴史を感じさせてくれます。たとえば土偶なんかでも、我々がイメージする「遮光器土偶」なんてのは後期の産物で、三内丸山遺跡にあるものはなんかこう平べったい人形(ひとがた)だったりします。本物の土偶を見たのは実ははじめてだったんですけど、確かになんでこんな形にしたんだろう、と不思議に思ったりします。
三内丸山遺跡ほどの規模の大きさはありませんが、こっちはこっちで結構面白いです。
それから港が見たくなって
八戸港。ほんとに普通の港でした。まあ、海を見に行っただけなんでいいんですが。
この時点で16時半過ぎ。そろそろ帰らないと、ということで、八戸インターから高速道路に乗り、八戸道から東北道に出てひたすら南下。岩木山サービスエリアで「岩手じゃじゃ麺」なる食べ物を食べたり(ほんとは青森名物だというスープ焼きそばが食べたかった)、そこでなんとなくああこれ『水曜どうでしょう』で見たなあみたいな感じの
ずんだもちを買って食ったらこれが想像以上に旨かったりしつつ、燃料をなるべく消費しない省燃費走行で江戸川到着が0時半。八戸で高速に乗る前に給油したっきり一度も給油しませんでした。普通のペースだったらあと1時間くらい巻けると思う。
総走行距離は2261キロ。うち高速道路だけで1300キロくらい走ってるので、残りの1000キロは一般道ということになります。
青森は広い。けど面白いぞ青森。