06/01 「自転車のおはなし」

 とは云うものの、今日から道路交通法が変わりまして(「改正」という言葉は今回使いたくないわけです)、駐車禁止の民間委託を含めたいくつかの新しい規制がはじまりました。本来ここは社会派エッセイですからね、こういうことも書くわけですよ。
 あ、ここから数行は面倒なら適当に読み飛ばしてもらって結構です。おいなんだそれ。
 これに関しては非常に矛盾を孕んだ法律でして、いろいろ報道されているのでご存知だとは思いますけれども、駐車禁止の摘発に裂いていた警察官を削減して民間に委託することで、ほかの重要業務に警察官のマンパワーを裂こうというのが基本なわけです。ですが、圧倒的に都心部だと駐車場が足りないわけで、「この法律を通すかわりに、無意味な駐車禁止は解除していくからね」という交換条件だったわけですね。
 ところが現状はどうかと云えば、「無意味な駐車禁止」はそのままでただ業者が取り締まるという、お前天下り先にあぶれた警察官のためにやっただろこれ、というのを露呈しただけに終わったわけでして、こういうことに対して我々はもっと怒るべきなんでしょうけど、いかんせん国家権力に対して怒りをぶつける方法を知らないんですよね。わたしも含めて。
 悔しいよなあ。や、わたしはほんとにちょっとした用事で5分とかでも駐車場に入れるタイプですし、旅行先で目的の場所に駐車場がなかったら諦めて通過するくらいのもんなんですけど、それだから構わないってこととはまた別ですから。60年代なら即デモ、大隈講堂占拠、声明発表、独立国家形成ですよ。
 というような社会派エッセイはこれまでにしてですね。もう云ってることむちゃくちゃですけど。
 今回の法律の目玉の一つとして、「自転車に対する取締りの強化」というのがあるんだそうです。
 今までどちらかと云えば野放しだった自転車の違反にもガンガン切符を切っていくぞというあれで、しかもこれ、法律の都合で違反すると即赤切符で罰金という車に比べても重い感じになってます。既に二人乗りの高校生が切符を切られたなんて報道が為されてましたからご存知の方も多いでしょう。
 確かに自転車って今までちょっと自由奔放すぎて、違反すると痛い目を見るという意識の強い車とかバイクに比べて人との距離が近い分だけ危ない思いをすることは多かったですし、信号無視とかについても結構無意識にやってたりするところもあったんですが、遵法意識を植え付けるより前に違反をちらつかせるやり方ってどうなのかなあというのはあるわけです。
 たとえば自転車に乗れるようになったばかりの3歳児が信号無視したら切符切るんですか、ってことなわけでして、高校生に切符切った以上は「法の下の平等」に反しますから切らないとダメなわけですけど、それならまずは「自転車で道路交通法を守ることの大切さ」を啓蒙するほうが先だと思うんですが、そう考えるとこの法律って一般市民をものすごくバカにしてるわけですよ。
 今まで既に矛盾だらけだった道路交通法にさらに接木で矛盾を増やすという、誰か止めてやれよというようなあれですね。
 というそんなような、止めたはずの社会派エッセイを何気に盛り込んで高御さんって実は知性溢れるステキな男性なのねみたいなそういうあれを持ったマドモワゼルもいるかもしれませんけれども、ていうかそんな奴いたら顔が見てみてえですけど、んなこたどうでもいいんですよ。
 そんなことよりも、この法律によって夢を奪われた少年がいるというそういう話を、先生今日はしたいと思います。
 昔、そうだなあ少年がまだ高校生の頃のことです。この一文だけですっごい矛盾を孕んでるんですけどいいですそんなことは些細なことです。
 その少年は男子校という名前の監獄にインプリズンドされてましてね、毎日女の子との出会いを夢見る日々だったんだそうです。それはもう切実でしてね、教師ですら一人も女性のいない学校でしたから、話をする女性は母親と当時小学生だった妹だけというようなそういうあれで。いや少年の話です。いやに具体的だとかうるさいです。
 少年は川沿いの家に住んでいたんですけれども、この川には土手がありまして、ここは車が入れない散歩とサイクリングのコースになっていたんですね。ここを自転車でちょっと走って帰るのが少年のいつもの帰宅コースで、その日もまたそういう生活を繰り返していたわけです。
 と、ここでもう一つ、この少年の自宅のすぐそばには都立の高校がありまして、当然ここは共学でした。そうしては行き交う女子生徒の姿のまぶしさにくらくらしながらもなんせ内気な性格でしたし自分が不細工だということを既にその年で心得ていたしで話し掛けたりとかそういうことは一切できないでいたのです。あの時何かフラグの一つでも立てておけば今ごろなあ。俺の前で転んでるちょっとドジな女の子、とかそういうのの一つや二つあったっていいじゃねえ。いえこっちの話こっちの話。
 で、まあ、その日もそういうあれだったわけですが、既に夕方でね。その日は真っ赤な夕日が落ちる初秋だったのを覚えております。ヘッドホンステレオで徳永英明あたりを聴きながら土手を自転車で邁進していたのですが、ここでですね、一組のカップルとすれ違ったんですよ。
 いえ、それはよくあることでして、別にことさら強調するようなことではございません。なんですけど、このときの二人は、自転車に乗ってたんですよ。二人乗りで。男が運転して、その後ろに女の子がさ、あれなんて云うの、横座りって云うの?あのほら、荷台に横向きにちょこんと座るやつあんじゃんよ。あれあれ。あれやってたんだな。言葉が一気に乱暴になったななんか。
 オレンジ色の夕日の中、誰もいない土手。横座りで二人乗り。
 もうさ、それがすっごい頭の中に焼き付いちゃってさ。一枚の絵画ですよあれ。
 あの自転車がすれ違った相対速度何キロの世界では測ることの出来ないほんの0コンマ数秒のあの世界だけが切り取られたかのようにそこに存在していたわけですよ俺ああいやいや少年の心の中で。
 これはバイクの二人乗りとか車の助手席とかそういうのとはまったく別の次元で素敵じゃないですかなんか。もう、絵としてすごく綺麗だし、「無言でいっしょにいる」あの時間を作り出してくれるんだと思うんですよ。
 徒歩だと静か過ぎるから会話がないと気まずかったりもするし、車だとカーステもラジオもあるし、バイクだとヘルメットとエンジン音がうるさくて会話ができない。
 でも自転車の二人乗りはその中間で、「会話をしないで、二人でいっしょにいられるのが幸せだっていうのが実感できる瞬間」を自然と作ってくれるという、そういうあれだと思うのです。あ、またいで二人乗りはダメね。あれは二人の顔が近くにあるから会話が成立しちゃうから。
 もうね、俺は将来立派になったら絶対あれをやるぞと。お前が連れてたあの女の子よりも数倍素敵な女の子と一緒に、自転車の後ろに横座りで二人乗りして駅までの道を走るぞと。そう少年は心に誓いました。
 できればあれですね、お祭りですね。やっぱり土手っていうのは外せないから夜の土手ですよ。あ、夏のね。虫の声だけが聞こえる静かな土手を、お祭りから帰るのに自転車二人乗りで、っていう構図かな。あ、女の子は浴衣です云うまでもなく。お祭りをやっている神社の娘さんだから巫女装束、ってのも捨て難いですが、とにかくそういうあれなんですけど、何を云うでもないの。静かにそうしてるだけで。聞こえてくるのは自転車の静かな音と虫の声、川の音、それから遠くで聞こえるお祭りの賑わいの声だけ、みたいな。そこでこうあれです、彼女のほうは後ろで金魚すくいで一匹だけ金魚が入った袋とか持ってるわけですね。
「どうでもいいけどさ」
「え?」
「お前に似てるよな、その金魚」
「えー、どうして?似てるかなあ?」
 見えないけど、きっとしげしげと金魚を眺めているのだろう。
 それを想像したらなんだか妙に微笑ましくて、思わず自分で顔が綻んだのが判った。
「だって、お前に掬われるくらいのんびりしてるんだぞ?そんな金魚は他にいない」
「あ。なんか失礼なこと云われてる気がする」
 ぷっと膨れる。
「実際、あのあと一匹も取れなかったのは誰ですかー?」
「……うっ」
 相当ヒマだったのか、久々の客が嬉しかったのか判らないけど、おじさんに一回サービスしてもらったのだ。
 二回目は結局一匹も取れずに終わった。
「しかも網が金魚の動きに追いついてなくて、水の中かき回してただけだったろ」
「そっ、それはだって、他の金魚が早すぎるから……難易度が高いんだよ、あのお店は」
「俺たちのあとに来てた小学生、五匹くらい掬ってたぞ」
「それは、だからだから……」
「その状況で掬われたそいつだからな。よっぽどだ」
「だったらキミがやればよかったんだよ」
「そんなことしたら、お前は今ごろ両手いっぱいに金魚の入った袋を持って自転車に乗ってることになるぞ」
「……それはそれで嫌だね」
 まみが金魚をじっと見ているのが、今度はなんとなく視界に入ってきた。
 ちょっと、何かを考えているような表情。
 と、自転車が橋を渡りはじめたとき。
「あ、ちょっと止めて!」
「え?」
 慌てて自転車のブレーキをかけた。
 不安定な自転車から器用に飛び降りて、まみは橋の欄干へ走っていくと、そこからぐっと身を乗り出す。
「おい、あんまり乗り出すと落ちるぞ」
「大丈夫だよ」
 そして、そこで金魚が入った袋を開けて、そのままさかさまにした。
「あ、おい!」
 当然、金魚は落ちていく。
 そのまま川の中へ。
 もう金魚の姿は見えなかった。
「じゃあね、元気でね」
 まみが真っ暗な川に手を振った。
「なんで逃がしちゃうんだ?せっかく掬ったのに」
「うん」
 欄干から乗り出していた体を引っ込める。
「……答えになってないっ」
「あ〜う〜」
 頭をぐりぐりしてやった。
「もう、痛いよー」
「そんなにお前だって云ったのが嫌だったのか?」
「ううん、そうじゃないよ」
 ふるふると首を振った。
「うちの小さい水槽で飼うんじゃかわいそうかな、川だったら広いかなって」
「……そうかな」
「そうだよ」
「でもさ、あんな広い川で一人だけっていうののほうが寂しいんじゃないか?」
「それは大丈夫」
「……何を根拠にそんなことを」
 まみが、ぴょんと自転車の後ろに乗る。
「だって、あの子はわたしなんでしょ?だったら」
 そのとき、響き渡る花火の音。
 空に綺麗な大輪が広がるのが見える。
 祭りのあとの花火大会が始まったのだろう。
 その光に照らされて、まみはにっこり笑って。
「だったらきっと、キミみたいな人が見つかるから」


 みたいなそんなようなね。あ、まみちゃんお久しぶりです。
 ま、こんなことばっか云ってるから結果としてそろそろ30になろうかというこの状態になっても、ご存知の通り相変わらず童貞であるどころか女の子の手も握ったことがない状況になってるわけなんだけどもな。なんだこれ。もう何もかもが台無しですよ。あたしの15年は何だったんだ。少年?知るかそんなもの。俺だよ俺。
 これがな、もう二度と適わないわけですよ。いやね、もし奇跡的に何かの間違いで、おもしろい顔好きのマニアックな女性がこの世にいたとして、その人となんだかんだあっても、じゃあいざおよそ15年来の夢を叶えようとしてこれをやろうとするとこれが法律違反なわけですよ。
 これはもうね、おかしいと。そんないたいけな少年の夢を法律なんかで縛るのは間違っているとこう思うわけです。国家のわがままってやつは、いつも一番弱いものを苦しめるのですね。こんなささやかな夢を叶えるにも道交法上等でやらなきゃいけないのかと。天秤ばかりは重たいほうに傾くに決まっているじゃないかどちらももう一方より重たいくせにどちらへも傾かないなんておかしいよ。河島英五。
 そんなわけで誰か自転車二人乗りで法律を破りませんか。なんかもう毎回こんな終わり方だよな。

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