04/24 「ハプニングのおはなし」

 とは云うものの、急にここんとこ忙しくなりましてですね、既にどうやら三週間ほど休みなく働いてたりする今日この頃なわけですよ。もうこういう生活にちょっと慣れてきてる自分がすっごく嫌よね。疲れるんだけど前みたいになんかこうそれが休みたい中枢を刺激しなくなるのな。まあそれならそれでいっか、みたいな感じになるの。人間としていかんと思うけどなそれは。
 ということでですね、どれくらい忙しいかというと、会社に徹夜でコンスタントに泊まったりとかそれくらいなわけですよ。そんでまああれだ、その日もまた会社で朝の太陽を見て、朝の6時くらいの電車で一回家に帰るわけです。
 朝の電車と云ってもまだラッシュ前だし、そもそも都心から郊外へ出て行く下り電車だから混んでるはずもありません。さらに、「乗り換えるのが面倒くさい」という理由だけで急行を行かせて各駅停車で帰ってきてるもんだから、もうすっごいガラガラであたし以外には一人しか乗ってないの。毎日こんなだと電車通勤も楽なんだがな。
 そのもう一人って云うのがですね、高校生だったんですよ。がらがらだったのに成り行きでちょうど向かい側に座ってましてね。
 こんな早い時間から電車に乗ってるってことは朝練とかそういうあれか、みたいな感じなんですけど、眼鏡とかかけててちょっと野暮ったい感じの、運動部系と云うよりはどちらかと云えば文化系、それもなんだ文芸部とかそういうあれで放課後とかに夕暮れの図書室で一人本を読んでそうな感じの子でですね。文芸部に朝練はないだろうなあと思いつつ、もしあるとすればどんなだ、朝みんなで集まって一斉にヘッセの「車輪の下」とかを読むみたいなそういうあれか。だいたい大会とかないだろ文芸部。
 みたいなそんなことを考えて、ぼけっとその子を見てたんですよ。別にいやらしい目とかじゃなくて、本を読んだりする思考力もないし、だからって寝るには眠くないし、あんまり顔を動かさずにいると視線の先にその子が自然にいた、というほうがより正確かもしれません。
 最初はその子、なんか小奇麗なブックカバーあるじゃないですか。どっかーんって書店の名前が書いてあるやつじゃなくて、なんかこうそれだけ単品で売ってたり、あるいは包装紙なんかをうまく切って作りましたみたいな中学校時代とかクラスの女子が教科書とかにやってそうなやつ。あれですよあれ。あれをつけた文庫を読んでたの。それが最初この人文芸部なんじゃないかみたいないらん妄想に駆られた理由でもあるんですけどもそれはともかく、とにかくそういう本を読んでたわけな。
 そしたらね、途中で電車がポイントを通過したらしくて、がくんと揺れたわけ。まあこっちもあっちも座ってるから別にそれはなんでもなかったんだけど、その子の膝の上にあった鞄が床に落ちたのな。
 まあ、それだけなら別によかったんだけど、その本を出すときに鞄の口をあけっぱなしにしてたらしくて、中のノートとか筆箱とかがいくつかばらばらっと床に落ちちゃったんですよ。
 その子はその子でなんか必要以上に慌ててて拾おうとするんだけどペンとか転がっちゃうじゃないですか。何本かこっちに転がってきただもんで、流石にそれを無視するのもなんかこうアレですし、拾ってあげたんですよね。
 それを渡してあげたら、「すみません、ありがとうございます」ってなんかすっごい慌てたみたいに云うわけ。
 なんかあれじゃないですか、こっちが悪いことしてるみたいな感じっていうか、何もそこまですることかなあってのはあるわけじゃないですか。確かにこの不細工面がだ、夜一夜そのまま寝ないで起きてた後の疲れきった表情ってもう一種恐怖を感じるのはわからないではないんだけどもだ。ほっとけ。徹夜でマージャンやってたあの明け方の顔とかすごいよ。
 だもんだから、おそらく普通にしてたら一生関わることはなかったであろうこの将来有望な(実際に賢そうな顔立ちだったんですよ)高校生と、そろそろ童貞のまま30歳にリーチがかかりそうな将来的には国の貴重な年金を無駄に使ってるであろうことは容易に想像されるエロゲーとかの本の編集で食っている不細工男っていう構図はどう考えてもありえないわけでして、そんなおもしろ面に急に話し掛けられたらやっぱり向こうもびっくりするのはわからないんではないですよね。だからほっとけちくしょう。
 それはいいんだけど、まだ完全に拾い終わってはいないのな。ペンとかなぜか10円玉とかが落ちてるわけ。ノートとかはあんまり散らばらないから即拾えるんだけどこの手の転がり系は手ごわかったと見えるわけです。
 ここまで来ちゃえばもう乗りかかった船ですし、そのままそういう散らばったのをニ三拾ってあげて渡したんですよ。「はい」って。
 そしたらまた「ありがとうございます」ってすごい必死そうに云うのな。だからなんでそんなに君は緊張しておるのかと。そんなに俺の顔はアレなのか。わかってたことではあるがな。
 そんなもんだからここでやめときゃいいのに、っていうか、普段だったらここで終わりになるんですよ。なんですけど、なんだろうなあ、徹夜明けで意識がすごくぼけっとしてたっていうのもあったし、他に誰もいないからっていうのもあったし、なんか妙に人恋しかったからっていうのもあったんだろうし、そのへんはあんまり覚えてないんですけどね。
 なんかね、あたし、その子に云ってたんですよ。「こんな時間から学校?」って。迷惑この上ないよね自分でもそう思うもの。せっかく解放されるかと思ったらなぜか普通の会話になろうとしているこの展開は何事かと。
 そしたら「はい」ってその子。「頑張ってね」ってあたし。「はい」てその子。
 っていうような一連の四言の会話だったんだけどもさ、なんかこういいなあって思うのはさ、さっきも書いたけど、あれなわけですよ。たぶん普通にしてたら、この子とあたしは一生接点とかないわけですよ。それが何かの縁でこういうことになったと。袖擦りあうも他生の縁と申しましてですね、そういうあれがなんかいいなあと思ったわけです。
 してみるに、ここからもしかしたら恋に発展するパターンもあるんじゃないかと。たとえば今日はこれで終わりになるけど、なんか次の日に偶然同じ電車に乗り合わせて、その日もやっぱりその子はドジッ子だからまた鞄を落としちゃって同じようなことになるわけですよ。そこで以って「昨日と同じですね」なんてな感じな展開になってな、その日はお互いに目的の駅に着くまでずっと話をして、なんとなく仲良くなったりするわけ。その日からボクのつまらない電車での通勤は一気に楽しいものになったのだ、みたいな展開になりますさねそれは。そのあとはもうなんだかんだあってお付き合いするようになっていっしょに花火を見に行ったりして、その帰りに夜の誰もいない電車で二人帰ってて、揺れたところで持ってた荷物を落としちゃって、「そういえば、最初の出会いもこんなでしたよね」「そうだっけ?」「そうですよ。わたしが荷物落としちゃって、それを拾ってくれたんです。わたし、その時はまだ男の人が怖くて」「あ、思い出した。なんか俺、すっごい怖がられてたよな」「あはは……。そのときは、こんな関係になるなんて思ってもみませんでした」なんてなことになってだ、そのままちょっといい雰囲気になってキスしたところでセピアに落としてBGMフェードアウト、ゆっくりとエンディングムービー、みたいなそういうあれですよ。エンディングムービーって。人生をエロゲーベースで考えるのやめようよ高御君。
 いやあれだぞ、そんなことあるわけねえよって云うかもだけどもさ、今回はいつもみたいに100パーセント純粋培養の妄想じゃなくてさ、その子と会話をしたっていう実績があるわけですよ。だからこう、今回に関してはもしかしたらの芽もちょっと大きいわけじゃないですか。
 ま、問題は、そいつが女の子じゃなくて男だった、ってことなんだけどな。わぁい。ほんと死ねばいいのにな俺とかな。

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