04/08 「男子校のおはなし」

 とは云うものの、歴史に「もしも」はない、というのはよく云われることです。たしかに、幾多の可能性の中からたった一つだけ選ばれた結果が現在へとつながっているのであり、それは例えばバタフライ効果のような現象で知られるように、「昔があって今がある」というそれだけのことに過ぎません。
 例えばもしも、南北朝時代に南朝が勝っていたらとか、そういう非常に大きな視点から見てもそうですし、元寇の際に「神風」が吹いていなかったらとかそういうのにしてもそうでしょう。第二次大戦の時にもしも日本軍の航空機がどうだったら、みたいなのは、いわゆる「架空戦記」モノとして現在でもよく語られるところではあります。
 そしてそれはおそらく人生にとっても同じことで、人間、「あの時ああしていればなあ」というようなあれの繰り返しなんですよいやほんとに。
 今の高御結という人間については、これはもうまごう事なきダメ人間であることは云うまでもなく、よくネット社会では「ダメ人間」という言葉は往々にして一種のほめ言葉のように使われることも多いのですが決してそういう方向性ではないほうにダメ人間でして、よく云ってることではあるんだけれども、いい加減そろそろ30歳にリーチがかかってるにも関わらず女の子の手すら握ったことがないという童貞だなんだの数歩手前にいるというのはこれはほんとどうなんだろうな。
 ということでだ、あたしの人生に「もしも」があるとすれば、これはもう生まれたときからというか生まれる前の精子の段階であたしになるはずじゃなかった二番目に到着した精子君のほうがきっとすっごくましな人間だったんじゃないのかなあみたいなことはないではないんだけれどもそこまでいくとアレなのでそれはともかくとして、あとは中学校のときにああいう告白みたいなのしないでちゃんとその頃から不細工は不細工らしくつつましやかに生きればいいんだってなことを自覚していればなあみたいなことは考えないではないんだけれども、いやなんかちょっとまた思い出したら目から汗が出てきたのでそういうことはまあともかくだ、やっぱり何はなくとも一番の「もしも」は、これはもうやっぱり中学校を卒業するときに男子校にインプリズンドされたことだと思うんですよね。
 だってあなた、高校ったらもう恋愛については真っ只中、花の時期じゃないですか。ほとんどのゲームとかでもこのへんの時代が舞台になっていることからもわかるように、あたしが憧れてた光景のほとんどがそこにあったわけですよこれ。
 こないだ書いた修学旅行もそう、文化祭もそう、体育祭もそう、青春イベントまっさかりかつ最後のチャンスなじきなわけですよこんなものは。
 大学とか入っちゃうとやっぱりちょっと違うもの。なんかそういうイベントにしてもさ、大学って、「学校が世界のすべて」じゃないからどうしてもね、こうちょっと醒めたところがあるじゃない。別に出たくなけりゃ出なくてもいいし。
 ところが高校とかそういうあれだと、まず単位が基本的に「クラス」だし、学校のイベントは基本的にみんな参加だからやっぱりいろいろドキドキしたりするしさ、そういうのなわけあたしの中での青春は。いやまあ結局大学でも彼女どころかろくに女の子と話もできなかったわけなんだけども。
 ところがだ、そんな大切な時期をよりによって男子校。どこ見ても男ばっかりの世界にいて、こんなものどうにかなるわけがない。
 こないだ、夜中にテレビをつけっぱなしにしてちょっと作業してたら、「プリンセスプリンセス」なるアニメが始まったんですよ。別に見るともなしに見てたらですね、これがもうすんごいのな。細かいストーリー展開はよくわかんないんだけども、男子校が舞台で、その中で特別に可愛い子は一年間イベントごとに女装して生徒たちを鼓舞する役をやらなきゃならないのだと。なんだそりゃ。だから女装ブームがですね。
 もっとな、あれなんだよ。男子校ってのは欲望に対してすごく後ろ向きというかだな、既にそういうのに達観した連中が集う、そういう意味からすれば欲求ストレートな場所であるという非常に逆説的な場所なわけ。少なくともあんな小奇麗な男がいてそれにみんなが集う、みたいなそんな雰囲気じゃないのな。
 女子高がどういうもんかわかんないけども、もう異性の目がないからどうとかみたいなそういうことじゃなくて、もう一段上の悟りを開いた世界。間違ってもあんなきらきらした世界じゃないことは確か。ぶっちゃけもっと汗臭くて汚いな。夏の授業中とかみんなパンツ一丁だったし。
 なんにせよ、周り中男だらけだということはどういうことかというと、異性と話をしないし出会う機会もないということなわけですよ。いやもちろんアクティブにまわりの女子高とかと仲良くするような人もいたけれども、あたしなんかそんなことぜんぜんできるわけもない。マジな話、親兄弟店員以外の女性と話しなかったものまるまる三年間。
 これがもし共学だったりすると、少なくとも「三年間で一度も女の子と話をしない」なんてことにはならないわけじゃないですか。なんかわかんないけど日直で同じ日に当番になるとかすれば話とかできるわけですよ。「日誌書いた?」「ああ、まだだから俺が持ってくからいいよ」「そう?ありがと」みたいなね。
 もうな、そういうのにすっごい憧れるわけ。なんかさ、先生にプリントの束とか教室に持っていくように云われて、それを一人で持ってるところに会っちゃって、「重いだろ?持っていってやるから貸せよ」なんてことをぶっきらぼうに言ってみたりとかさそういうの。それで彼女のほうは遠慮するんだけど、なんかちょっと意地になって彼女が持ってるプリントの束奪ったりするの。そういうの普通にありそうじゃないですか。夕暮れの廊下でね。あとほら、帰るときにそれほど仲がいいわけじゃないけど同じクラスの女の子に廊下で会って「じゃあね」とか挨拶したりとか、方向が一緒だからって云っていっしょに帰ってみたりとかね。特に話すこともないから、「あの先生ムカつくよなー」みたいな話とかすんの。いいなあ。
 あとはあれだ、例えばごはんを食べるなんてときもね、弁当とか学食とかそういうので買ったのを教室のすぐ横にあったベランダで友達と食ってたんだけどさ、まあそれはそれで確かに面白かったんだけども、やっぱり違うじゃないですか青春のお弁当風景ってさ。
 そりゃね、なんぼなんでもあれですよ、屋上で彼女が作ってくれたお弁当が、みたいなことは云いませんよあたしだってさ。そんなもなあいくら共学でもよっぽど仲がいい人じゃない限りはないだろうなあってことくらいはわかるわけさ。そういうんじゃなくて、たとえばもっとだな、学食のミックスサンドを食べてたら横から隣の席の女の子がいきなり来てさ、最後にとっといたツナサンドとか食べちゃうわけですよ。それでまあちょっと怒ったふりをしながらはしゃいだりするさね。かわりに、なんて云って次の日にお弁当作ってきてくれたりしてな結局そこ行くんじゃん。
 いやさ、そういうまあお弁当作ってくれたりみたいなあれはまああれだけれども、なんかそういう、普通の学校生活の中に組み込まれている女の子との会話っていうのに憧れてるんですよすごくさ。
 その頃のあたしにしてみれば、ていうか今でもあんまりかわなんないんだけどもそれはともかく、女の子と話をするのってすっごい特別なことだったわけですよ。そこに恋愛感情とかはとりあえずはなくてもいいのな。授業中に教科書を忘れて隣の子に見せてもらうとかさ、授業中に寝てて急に先生に当てられて教科書の何ページを読めばいいのかを教えてもらって、そのあとにこっそり「サンキュー」とか云ったりさ、そういうやつさね。
 そういうのすっごくやってみたいんだよ。別に誰かとお付き合いをするとかじゃなくてそういう普通の日常の学校生活の中に女の子がいる生活みたいなのに憧れてたんだなあ。つまんないことだと思うでしょ。あたしもそう思うもの。それでまあなんていうの、女の子とそういう仲になれたりして、いっしょに帰るのにクラスが違うから校門のところで待ち合わせしたりとか自転車二人乗りで帰れたりとかできればまたこれはこれで格別なんでしょうけれども、たぶんそれが無理なことくらいはあたしにもわかってるしこの際贅沢は云わないさ。いいのもっとささやかな幸せで。
 この「もしも」の場合、もう男子校に行ってしまったことそのものが既に絶大なる失敗なわけでして、いやもちろんそこで得た友達とか経験は今でもかけがえのないものだと思ってるけどもそういうなんか満ち足りないものとかはあったわけですよ。
 そんでもって、「もしも」共学へ普通に行ってた場合の仮定をすると、なんかこう現状の女の子と話をするときにどういうことを話したらいいのかわからない現象もどうにかなるんじゃないかなあという気はすごくするわけな。前にも書いたけど、気軽に女の子を下の名前とかで呼べる人とか尊敬するもの。そういうのできるようになってるんじゃないかなあとこう思うわけ。なんかいいじゃない、そういうのってさ。
 まあとにかくだね、世間的に男子校が凄く誤解されている気がするわけ。男子校といえば男同士がすぐにいわゆるホモカップルみたいになってるんじゃないかとかそういうケのある人がいるんじゃないかとか。
 そんなのいるわけないだろ。一人しかいなかったってクラスに。

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