さくらソフトに捧ぐ
「…君は…遠くに行ってしまったのだな」
誰にともなく呟いた声も、一際強く吹く風の前にかき消されてしまう。
口に出された言葉、それだけでは何も生み出しはしない。いつだって言葉は無力だった。
昔の女が、俺に囁いた言葉を思い出す。
あなたは、わたしがいなくても生きて行けるから。
それが最後の言葉だった。
いっそのこと、二人で喧嘩でもして別れてしまったほうがよかったのに。
あの時の女の、中途半端な優しさが、俺の脳裏をふと翳めた。
そして今。
俺の目の前に、それは確かに存在している。
ワール・デバイス。
そこは確かに、つい最近まで、さくらソフトという名前だった。
どこをどういう風に間違えたらこの絵でゲームが発売できるのかというような、よく言えば硬派、悪く言えば無謀なゲームのようなものを発売していた会社だった。
処女作、「明日世界が終わる夜に」は、ゲームとしての出来云々以前に、MSXで塗ったかのようなヘタクソいやいやシンプルなグラフィックを抱え、俺の中でのイカすゲーム大賞を満場の一致で受賞したのである。
そしてさらにその会社のことを知れば知るほど…会社にいた社員がたった二人で、さらに「明日世界が」の後にその社員とも喧嘩別れして一人で営業からプログラムからグラフィックまでやっているという面白すぎる事実も、第二作目「ジグソーの町」でもやはり変わらないクオリティのCG(のようなもの)も、それでいながら妙にコダワリを持っていてやたらと説教くさいホームページでのゲーム解説も、そしてそれらからわかる、こいつはマジでこれを作っていて心の底からこれが売れるのだと思っている事実も、すべて俺が惚れるには必要にして十分だったのである。
そして実際に、俺はヤツ…くるくるに惚れた。
確かに誰の目から見ても、いくら今のエロゲー業界がシナリオ重視になってきているとは言え、あのクオリティの絵でこの激戦の18禁ゲーム業界を生き残っていこうということそのものが無謀に見えたに違いない。実際に、おそらく「明日世界が」も「ジグソーの町」もほとんど店頭で見た記憶がないので恐らく売れていないのだろう。というよりも、これが売れるようならば、世も末とかそんなレベルではなく、かなり切羽詰った状況であると言える。勿論中古ショップにも見当たらないが、これは買った人が手放さないと言うよりも、むしろ誰も買っていないと見るほうが妥当だろう。
しかし。そうではないのだ。
確かにソフトを大ヒットさせるのは簡単なことではない。皆が期待し、実際に満足を得られるような作品を作る苦しみというのは並大抵のものではないだろう。この業界ではもはや知らない人はいないであろう「Kanon」や「To Heart」も、決して一朝一夕に生まれたものではありえない。そこにはたくさんに人々の思いがある。苦労がある。
しかし、ソフトを「ある程度売る」のであればそんなに難しいことではないだろう。極端な話をすれば、絵が上手い人に原画を頼めばいい、それだけの話だ。店で見かけるパッケージでぐっとひきつけることが出来れば、それはそのまま購買意欲へつながる。別に有名でなくてもよいのだ。さくらソフトにだってそういう手段はいくらでも取れたはずである。
しかし、くるくるはそうしなかった。
くるくるは恐らく、「絵が描きたかった」のだ。
プログラムがVBだとか、のけぞりマウスとかいうわけのわかんないシステムだとか、そんなものは実際のところどうでもよかった。
自分の絵で、ゲームを作りたかったのである。
確かにパッケージの絵が綺麗ならば手にとってもらえるだろう。逆にあの絵は、購買意欲を著しく減退させると言うよりも、そもそもパッケージから手にとってはならないというオーラすら放つものである。
しかし、それでもよいのだ。ゲームが作れさえすれば。
売れる売れないよりも、自分の絵でゲームが作れるということが大切だったのだ。
だからこそ、「こみっくパーティ」や「鈴がうたう日」の発売日に、「ジグソーの町」をぶつけるという、F1グランプリにスズキ・アルトで出場するようなことだって当たり前のようにできた。
そんなくるくるに惚れたのだ。俺は。
そもそも自分の絵がまずいことに気がつかなかっただけかもしれないが。
そして。
くるくるは俺に勇気をくれた。
あの絵が流通に乗って全国の有名ゲームショップに置かれる。
そう考えてもわくわくしてくる。
あれでいいなら俺の絵でもオッケーじゃないか。
俺もヘタクソだけど、あれとならいい勝負してるんじゃないか。
そう思えた。
顔も知らない君に、いつも勇気付けられていた。
残酷なものだな。思い出と言うのは。
再び、自嘲気味に呟く。
煙草の火がとっくに消えていることに気がついた。
さくらソフトが、「あいらんどりぞーと」という、相変わらずのあのクオリティの絵で、第三作目を作っていることだけは知っていた。
そして思っていた。
今度こそ、買おうと。金が掃いて捨てるほど余ってたら。
…そう。
俺の最大の過ちはそこにあった。
俺はくるくるの結晶を、何一つ持っていなかったのだ。
理由は、俺だって金は大切。それだけのことだった。
きっとくるくるも苦しんでいたに違いない。俺が買ったところで焼け石に水だとも思うが。
しかし。
久しぶりに出会ったさくらソフトは、変わり果てていた。
最初は雑誌だった。
どこかで見かけた名前。あいらんどりぞーと。
昔の女に駅で偶然出会ったときのような、甘くほろ苦い感覚。
ところが、違っていた。
あいらんどりぞーとはその名前を残し、まったく別のものに成り果てていたのだ。
いかにもイマ風の絵。発売も、「ワールデバイス」という、凝ってるんだか凝ってないんだか中途半端に格好つけた名前。
立ち上がる。
なにかの間違いだ。と思った。
でも、そこにあったのは、まちがいなく「あいらんどりぞーと」であった。
なにもかもが変わってしまっていた。
原画が一人入社。これにより、くるくるの仕事は「原画以外すべて」になった。
そう。
くるくるが一番やりたかった、原画の仕事は、ほかの人の役目になっていたのだ。
会社の場所も兵庫になった。
会社名も変わっていた。
「おまえは…それでよかったのか?」
呟く。
答えはない。
「おまえがやりたかったのは…そんなゲームなのか?」
もう、その問いに答えてくれる者は、誰もいない。
ただ、きっと、「あいらんどりぞーと」はいつか発売される。
普通の絵で。普通のゲームとして。
かつてのさくらソフトを知るものでも、「ワールデバイス」がそのさくらソフトであることに気がつくものはいないだろう。
残っているのは、相変わらずゲームメーカーにしては驚くほどセンスのないホームページだけなのだから。
静かに時間だけが流れていき、すべてを押し流す。
そして新しい場所で、新しいスタートを切る。
俺は立ち上がり、歩き出した。
行き先は決めていない。
どこか、風が吹く場所。
どこか、海が見える場所。
どこかにたどり着くその場所を目指して。
でも、必ず俺はここに帰ってくる。
いつか、ワールデバイスが「さくらソフト」になって、あの絵のゲームを見せてくれるその日に。
いつか、再びあの偉そうな説教が聞けるその日に。
俺の旅は、まだ始まったばかりなのだから。
完
<解説>
この文章はずっと以前にネタで書いたもので、別に誰に公開するでもなくハードディスクの片隅で肥やしになっていたんですが、ふと整理中に見つけてしまい読んでみたら実にバカバカしかったので公開してみることにしました。今回、厳密には「ゲーム」ではなく「ブランド」の話です。
知っている人にはすっかり有名なブランドですが、あったんですよ昔、雑誌の中でもひときわ異彩を放つチャレンジブルなグラフィックで勝負していた「さくらソフト」ってエロゲーブランドが。知ってる人はその名前を聞くだけで笑ってしまうというあらゆる意味で有名なところで、「BASICの「LINE」と「PAINT」命令を使って描いているのではないかと噂されたグラフィック」「妙に説教臭いメーカーページ」「なぜか自信満々なスタッフたち」「スタッフたちといってもそもそも一人でゲームを作っており、エンディングクレジットは同じ名前が次から次へと出てくる」などという伝説を残したのですが、本文中でも触れられているように、さくらソフトは途中で「ワール・デバイス」と名前とグラフィックを変え、「あいらんどりぞーと」という作品をリリースしました。この文章を書いたのは、名前が「ワール・デバイス」に変わったということを知った直後だったと思います。そして大方の予想通り、この「ワール・デバイス」は「あいらんどりぞーと」をリリースした後消滅してしまったようで(スタッフはちぇりーそふとに移籍したとのことですが、本当かどうかは知りません)、文中にも触れられている「センスのないホームページ」も消えてしまいました。残念なことです。
知ってる人はもうお腹いっぱいってなもんでしょうけど、知らない人は中古屋の片隅で見かけたらちょっと手にとってあげてください。そしてそのパッケージに驚いてください。できれば「あいらんどりぞーと」より「ジグソーの町」か「明日世界が終わる夜に」のほうがいいです。さくらソフトの本質はやはりあの絵でなければわかりません。それでなにか捕まえて離さないオーラを感じ取ったら買ってみるのもよいかと思います。ちなみに、グラフィッカーが変わった「あいらんどりぞーと」が特別に巧い絵なのかというとそうでもなく、普通のエロゲークオリティからすればむしろちょっとどうかなあという感じではあるのですが、なんせそれまでがあれなので。
カネ返せと云われても責任は持ちませんが。
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