「Treating2U」

 時々、ゲームというのは、時によっては、手垢がついた使い古されたテーマを、生き生きと描ききることが出来るメディアなのであるなあというようなことを痛感するときというのがある。そして、そういう作品に触れることが出来たとき、改めてゲームの持つ表現力に驚き、感動するのだ。

 「Treating2U(ブルーゲイル)」。ストーリーの概要としては、まあ、バンドマンである主人公が病院で入院して、その入院先の病院で起こるドタバタ劇をそのまま描き出したもの…とでも言うことができるだろうか。もちろんキャラによって多少の分岐はあるけれど、概ねのストーリー展開はこういうものだと思っていただいて差し支えない。
 このゲームの第一の魅力は、ずばり「主人公である」ということができるだろう。もちろんこのゲームもエロゲーというジャンルに属する以上、どうしたって女の子がいっぱいでてきて云々というような話になってくるのはごくごく当然の話であるのだが、それらを差し置いて魅力を放っているのが、主人公の伊之助なのである。
 一言で言ってしまうと、とにかくかっこいいのだ、この主人公。台詞まわしひとつとっても、主人公の魅力というのが作品全編に渡って満ち満ちているのである。それがゆえに多少暴走しすぎというか、ちょっとありふれた説教くさい台詞がいきなり出てきたりするというのもあるのだが、そんな台詞ですらこ伊之助のキャラクタにぴったりとはまるから不思議なものだと思う。俺にはなにもできない、できることは歌うことだけだ、などと言ってオリジナルの曲を作曲してしまうあたりなんかは、ちょっと演出を間違えると、途端に世界観が暴走してしまい、ゲーム全体を派手に崩壊させる一因にすらなりかねないのであるが、そんなシチュエーションですらぴったりとはまり、その世界観を含めて、ディスプレイのこちら側にいるプレイヤーの心を揺さぶってくるのだ。勿論、そこで奏でられる音楽が、Kanon等の曲を手がけたI'veのプロデュースによる名アレンジであるというようなこともあるだろう。しかし、それだけでは決して、この雰囲気を作り出すことは出来ない。全部の演出があって、はじめてこのシチュエーションが、そして音楽が生きてくるのだ。音楽だけがよくても、シナリオだけが良くても、決してゲームは名作にはなりえない。

 そして、この作品の魅力は、そこだけではない。

 そのジャンルをひとくくりにするなら、「病院、闘病モノ」である。主人公ないしは主人公の周りの人間が病気と戦って云々というやつだ。
 これ自体は、テーマとしては、それこそどれくらい前から使われていたのか解らないくらいありふれたテーマであるということができると思う。ゲームに限ってもそれは例外ではなく、有名なところでは「同級生2」にもそんな病院キャラがいたし、「ファーストKISS物語」なんかにもいた。「加奈」は言うまでも無いし、ちょっと違うかもしれないが、「Kanon」の栞なんかもそれのカテゴリーであると言えなくもないだろう。
 「加奈」をその頂点にした(という言い方には、ともすればやや語弊があるかもしれないが、都合の上でこのように書かせていただく)「病院、闘病もの」というのは、「死ぬこと」というネガティブな要素をテーマに据えている。もちろん、ここで言う「ネガティブ」という言葉は、決してマイナスイメージの言葉を想定して用いているのではない。要するに、「死ぬこと」に対してどう立ち向かうかということから話を展開させ、そこにシナリオライターからのメッセージを込めるわけである。まあ、これも「よくある病院、闘病系」になると、「死ぬことは哀しい。つらい。だからそれに立ち向かった人も哀しい。さあ泣け」という、単純な論調のお涙頂戴になってしまう危険性を孕んでしまう。「死ぬこと」をどうとらえるかどいうメッセージではなくて、そこにあるのは「シチュエーションとしての死」を用いているだけに過ぎない。勿論、ゲームというのは根本的にはエンターティンメントであるのだから、それで感動したりさせたりするのを否定するということは決して正しくはないだろう。しかしそれは何も残してはくれない。「加奈」が作品として凄かったのは、そこにさらにメッセージを載せることが出来たからだということになるのだと思う。「加奈」にインスパイアされて発売されたと思われるゲームもあることはあるが、その殆どはこの罠に落ちてしまった。
 死ぬことをどうとらえるかとか、それをゲームでどう扱うか、あるいは扱いきれるのかというようなことに関しては、死ぬこと生きることを頭に据えた生命倫理感をここで展開するつもりはないので省かせていただくが、とにかく、今までの病院ものというのは、そういう論旨で展開していくものがほとんどだった、ということである。人が本質的に恐れる「死ぬことの恐怖」に訴えかける作品と言うことが出来るだろうか。繰り返しになるが、決してそれを否定するのではない。その中から「加奈」のような作品が生まれてきたのであるから。
 しかし、である。この「Treating2U」も病院を舞台にしているが、この作品は、そういったネガティブな要素を一切持たずに「闘病」をテーマにしているのだ。病院での生活をテーマに据えながら、それこそあの葉っぱが落ちるときにわたしは死ぬのね、といったようなテーマを持たないのである(霞夜が唯一そういう雰囲気をもっているかもしれないが)。
 そういう意味では、「加奈」と同じような表でありながら、テーマや根本に流れるものが異なってくるのかもしれない。同じように「生きることのすばらしさ」を謳いあげるにしても、「死ぬこと」と対比するのか、あるいは「生きること」と照らし合わせるのかということでここまで変わってくるのかというようなことに驚いたのである。
 勘違いして欲しくはないのだが、決して「死ぬこと」への直面がこの作品の中に登場しないというわけではない。「死」を意識するシーンもあるし、詳しくは語らないがそういうエンディングも存在する。だがそれは決して「生の対照としての死」ではなくて、「死ぬこと」そのものの死なのだ。その根底から、死ぬことへの恐怖を謳いあげているのではない。生きることのすばらしさを謳いあげているのである。

 こういう「病院もの」が登場したということ自体が、すなわちこのゲームのすばらしさなのだろうと思う。この「Treating2U」、ブルーゲイルの作品の中ではあまり売れなかったそうで、製作者サイドとしてはなんだかこういうゲーム作りに対して自ら疑問を抱いているようであるが、できることであればこういった「新たな試み」を盛り込んだ作品を送り出して欲しい。そう思わずにはいられないのである。
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