To Heart2 XRATED(Leaf)
項目 | シナリオ | 絵 | システム | 音楽 | 総合 |
ポイント | 4 | 5 | 4 | 5 | 9− |
シナリオ:三宅章介/菅宗光/まるいたけし/枕流
原画:カワタヒサシ/みつみ美里/甘露樹/なかむらたけし
音声:フル
主題歌:有(オープニング:『Heart To Heart』/エンディング:『ありがとう』/挿入歌:『星の歌』)
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<シナリオ>
普通の学園を舞台にした普通の恋愛ストーリー。はっきり云って、これ以外にストーリーを説明する言葉がありません。どこまで行っても普通。もちろん、物語、という範疇の中での異常現象は起こりますが、それ以上のことは何もありません。本当に、最初から最後まで、「主人公とある女の子たちとの物語」です。
この作品、Windowsで動作する18禁のゲームですが、もともとはPS2で発売されたものに18禁のシーンを付けた「移植版」です。そしてそれにあたり、わたしはこれの元になっているPS2版は未プレイです。
この文章、まずはそこに留意して読んでいただかないとわけのわからないことになってしまうと思いますし、そもそも「PS2版と比べてどうか」ということはわたしにはわかりません。
初代の(という云い方が正しいかどうかはわかりませんが)『To Heart』という作品(以下「初代」と云います)は、それまでにLeafがリリースしていた『雫』『痕』の流れをひっくり返して「普通のエロゲー」を作ってしまったとオールドファンから嘆かれながら、いざ発売してみればそのストーリー展開や文章のテンポなど総合的な作品レベルの高さに多くのファンを熱狂させ、アダルトゲーム史に名前を刻むことになった、まごうことなき「名作」と云ってよいでしょう。
この「初代」から、シナリオ・原画というメインどころのスタッフを総とっかえして、「2」は生まれました。そうしたときにさてどうか、という疑問は当然あります。そこまでして『To Heart』の名前を冠する必要があるのかどうかということですね。
個人的かつ正直なことを云えば、そこにまったく期待はしていませんでした。あの『To Heart』が「2」になってどうなったのか。どのへんが『To Heart』なのか……そういうさまざまな興味のみでこの作品を手にとった、と云っても過言ではありません。
ところが、はじめてみてまず驚いたのが、ちゃんと『To Heart』してるんですよね、これ。
会話も世界観も文章のテンポも、ちゃんと昔懐かしい『To Heart』そのままで、新しいキャラクタが動きまわっているというのは、これは一つ新鮮な驚きであり、なおかつ嬉しさも大きいものでした。これはまあ、この初代についてはいろいろと思い入れも深いからなのでしょうけれども。
じゃあ、とここで一つ疑問に思ったのは、『To Heart』を『To Heart』たらしめている「もの」は何なんだろう、ということです。
初代がアダルトゲームの世界に残した「もの」は、大きく二つあると思っています。一つは「ビジュアルノベル」というシステムであり、もう一つが「学園恋愛アドベンチャーゲームの基本」です。
前者はまあよいでしょう。良くも悪くも、初代のヒット後に雨後の筍のようにビジュアルノベルが氾濫したのは記憶に新しいところです。『雫』や『痕』で基本を作り、初代で決定的なものになったこのシステムは、今でこそ当たり前になっていますが、本来であれば「ありえない」手法でした。理由は後述します。
コンシューマにまで枠を広げれば、もちろんそれ以前にも同様のシステムを使った作品がなかったわけではありません。『かまいたちの夜』のような作品はまさにそれでしょう。しかし、それはあくまでも「ビジュアル」よりも「物語」を見せるコンセプトだからこそ成し得たものでした。
アダルトゲームでもあったのかもしれませんが、わたしは寡聞にしてそれを知りません。考えてみれば当然の話です。アダルトゲームは、その生い立ちからしてビジュアルを見せてなんぼの世界です。ビジュアルの上に文字を載せるこのシステムが、アダルトゲームのコンセプトと根本から相反するものであったわけです。
ところが、『痕』までで築いた「物語」への信頼でもって、Leafは初代で「学園恋愛もの」でこれをやってしまい、ヒットさせて「基本」を確固たるものにしてしまいました。
で、問題はこの「学園恋愛ものの基本」とはなんだ、ということになってきます。
学園を舞台にした恋愛ものなんていうのは、それこそ過去からの「定番」です。名作として知られる作品を思い浮かべても、例えば『同級生』なんていうシリーズはそれでしょう。
初代は、前述のビジュアルノベルシステムを以って、『同級生』になかった圧倒的な世界観を作り出しました。それは物語性であり、はたまたキャラクタ性であり、究極的には「リアリティ」ということになります。
そしてこの「リアリティ」こそが、「初代」が作り出した本質の大きな部分なのではないかと思うのです。
と、ここで「リアリティ」という言葉を誤解していただきたくないのは、この作品がものすごく現実に即したものである、ということでは決してないということです。
初代をやった方ならわかると思いますが、あんなことはまず「ありません」。あれを本当の話だと思っている人がいたら、それはそれでちょっとどうだろうということになります。
ここで云う「リアリティ」というのは、物語が作り出す仮想現実の世界に対する感覚の強さの程度のことです。もっと簡単に云えば、「こんな世界があったらいいなあ、こんな世界にいられればいいなあ」というプレイヤの想像力への刺激性の強さを意味しています。
初代は、主人公がいて、そこに幼馴染の女の子がいて、やかましい女友達がいて、不思議少女がいて……という、いわゆる「お約束」と「記号」をベースにしたキャラクタたちとの生活を楽しむ作品でした。そしてその中にマルチの話があって、これに多くのプレイヤが「アダルトゲームで感動する」経験をしたわけです。
プレイヤが感じていたのは、おそらくこの世界そのものに対する憧憬です。それはつまり、この仮想の物語が作り出す世界を見る見方の変化であり、キャラクタたちに対する究極のアプローチでもあります。
多くの「学園もの」恋愛ゲームが今ひとつぱっとしないのは、この憧憬を引き出すに至らないで終わってしまうからに他ならず、つまるところ、うわべだけの「学園生活」をたどるだけでは、学園モノは成立しえないのです。
それは多くの人が、どのような形であれ、学校での生活を経験していて、それは物語のように美しく、甘酸っぱいものではないからです。それだからこそ人々は自らの思い出をキャラクタに照射し、それを以って体験とするのですから。
それはキャラクタの書き方もそうですし、エピソードもそうですし、文章のテンポもそうです。それはつまり、世界をプレイヤに自分のものだと認識させる必要性です。多くの作品はそれを飛ばし、誰かが誰かを好きになってエッチをするだけの物語を紡いできて、幾多の作品の中に埋もれてしまったのではないかと思うのです。
そして、それだからこそ、この「2」に初代の匂いが漂っていたことにわたしは驚きました。キャラクタも違うし文章のテンポも微妙に初代とは異なっていて、これはそういうことからすれば『To Heart』ではないはずなのに、ちゃんと『To Heart』の匂いがする。これは一つ新鮮な驚きだったのです。
例えば日常描写の丁寧さ。適当に飛ばしてもいい、どうでもいいはずの朝のエピソードや夜の寝る前のエピソードは、ちゃんとそこに生活があることを我々に教えてくれます。それもキャラクタの描写に無理して使うことなく、ただ「時間が経っている」ことを説明するためだけにその文章が存在していることに驚くのです(ただまあ、これが緊張感のあるシーンの繋ぎにも機械的に入ってくるのはちょっとどうかという気がしますが)。
そしてキャラクタ。初代でも突拍子も無いキャラクタ揃いでしたが、今作はそれに輪をかけて飛んだキャラクタばっかりになっています。るー子、花梨あたりが突き抜けていて、ほかのキャラもほとんどまっとうなキャラクタはいません。
ですが、しかしそれは、例えば「不思議少女」という古典的かつ記号的なキャラクタに肉付けしていったところで完成する一己のパースナリティです。それがゆえに、これだけの飛んだキャラクタ性を持たせながら、世界に軋みを生じさせていません。
ただまあ、花梨だけはちょっとそれが過剰になっていて、確かに世界の中での違和感はないにせよ、ちょっとしたうっとおしさを感じる人は多いのではないかと思いますが、それは無理もないことでしょう。初代で云えば、ゲーム内のプレイヤから向けられる視点において志保やレミィが担っていた役割のそれですから。
という、世界観の作り方についてはまさに「初代」のそれを踏襲していてすごく素晴らしいことであるというのは間違いないんですが、反面、無理矢理前作を引っ張ってきているところも多々あってそのあたりに若干の歪みを感じないではありません。
一見するとこれは矛盾していることではあるのですが決してそうではなく、「世界観を引っ張る」ことに成功していながら、エピソードレベルで(物語にまったく関わってこないところで)存在した「初代」とのつながりに、何とも云えない違和感を覚えます。
こういうつながりは、たとえば「初代」をやっていると知っている情報が物語の中にふと出てきたときにちょっとニヤリとできたりとか、そういうところで以ってようやくひとつの世界を構築する要素として成立しうるのですが、残念なことにこの作品ではそれがちょっと露骨すぎるきらいがあります。
イルファの話のあたりについてくらいでとめておくべきだったものを、「オカルト研」や「エクストリーム部」のちょこっと、ほぼただ「云うだけ」のネタとして存在を匂わせるあたりに、どうしても一種のあざとさが見え隠れしてしまうのです。
これは、「この作品は前作と繋がっていて、学園も同じ学園なんですよ」という演出のために存在しているのではなく(それはまさに、先に述べたイルファのエピソードにまで突っ込んで初めて成立しうる「ネタ」です)、単に言葉尻だけの遊びに過ぎません。それが逆に、「初代」との連携感をなくしてしまっています。
初代と比較してちょっと残念だったのはこのくらいで、他についてはこの作品を『To Heart』たらしめる要素から、ああ、『To Heart』をやっているんだなあという感覚が確かにあります。ですから、初代でもこの「2」でも、「これがTo Heartという作品です」と云われれば、間違いなく頷くより他にありません。それだけの作品です。
物語面においても、例えば「初代」のマルチの話のような、プレイヤを感動させてわんわん泣かせる、みたいなのがあるではありません。至って普通の話です。
意図的にそういう感動路線を狙っているんだろうなあ、というのは、実はちょっと見えないわけではありません。ルーシーとか優希あたりは特にそういう「匂い」を感じます。なので、もしかするとこれが鼻につくというのはないではないのですが、それでもまあ「いい話だなあ」というところではありますので、読後感のよさは一級品でしょう。愛佳の話なんかは、サブキャラの魅力も手伝って非常にそれが強いです。
しかし、やはりこの作品の物語における本筋は、上にも書いたような「リアリティ」にあると思います。
つまり、こんな世界で、こんな学園生活を送りたいなあ、送れたらいいなあ、という「羨望」ですね。ほんとに平和で、ちょっと人を好きになって、その子と幸せな生活を送るという「普通のこと」が普通に楽しめる。そんな話そのものにあると思うのです。
ですので、この作品に大袈裟な物語性とか感動とか、そういうのを求めるのはまた違うのではないかという気がしています。そしてさらに、そういう「学園生活」を楽しむというコンセプトを暗黙のうちにでも理解しておかないと、なんだこの普通のシナリオは、ということになってしまいかねません。云うなればこれは、その「普通」を普通に楽しむ物語なのですから。
アダルトシーンについてはちょっと疑問。もともとPS2の非アダルト作品がベースですから、どうしても「後付け感」が否めません。物語の中に自然にそれが入っていればいいのですが、やはりどうしてもそれが難しいということなのでしょう。
ベースの話を特に「書き直す」ではなく、「付け加える」形で挿入されているので、正直不自然きわまりないです。しかもそれが二回三回とだらだら続く場合もあり、いくらアダルトゲームだからってそういうもんじゃないだろ、と突っ込みの一つもいれてやりたくなるシーンがちらほら。
比較的まともなのは愛佳、環あたりなんですが、逆に瑠璃・珊瑚、このみあたりの話ではその無理矢理感が顕著です。ストーリーの中に当てこむことが難しいという事情は理解できなくはないのですが、しかしいくらなんでもこれはあんまりでしょう。
テキスト自体もなんか微妙におかしいというか、テンションに任せて書いてる感じがあったりするシーンもいくつか見られて、これはこれでなかなか味があるといえば味があるんですが……まあ、一つの演出としてのアダルトシーンだと思ったほうがいいと思います。
もっとも、逆にじゃあアダルトシーンがなくていいのかというとこれがあながちそうでもなくて、まあ、瑠璃・珊瑚あたりはなくてもあってもどっちでもみたいなところはあるんですが、環、愛佳、ささらあたりでは、演出として「必須」になってきます。ここでアダルトシーンが入らなかったPS2版はさぞかし(物語として)消化不良だっただろうなあと。そういう意味では、やはり「XRATED」のほうが自然であるような気はしました。
<CG>
文句なしに綺麗です。絵については趣味の問題もあるとは思うんですが、さすがというかなんというか、どの子も普通に可愛いので、見てくれで誰かを嫌いになるとかそういうことはまずありませんでしょう。
さらに、立ちキャラ・イベントシーンともに非常に安定して魅力的なのも嬉しいところでしょう。特に立ちキャラについては、真面目なものからちょっとギャグっぽいものまで用意されています。特に、このみ・愛佳は表情豊かでこれを見ているだけでも楽しくなれる感じ。表情だけでなく、ポーズが豊かなのも効いてると思うのですが。
複数人で描いているわりにはさほど統一性がないわけでもなく、世界観に破綻をきたしていないのも大きいです。また、後述しますが、オマケのパズルやシューティングゲームにはそれぞれ別個でイラストが用意されており、一本の作品でいろいろな絵を楽しめるのもまたいろいろな人で描いていることの大きなメリットでしょう。
絵の枚数も多く、一人のキャラクタで普通のイベントもアダルトシーンも満遍なく用意されていますので、そのへんも抜かりはありません。絵に関しては、パッケージの絵とかが気に入れば絶対に後悔しません。
あと、何気にオープニングのムービーが凄いです。止め絵を適当にパンさせているだけではなくちゃんとキャラクタが動くので、普通のアニメのオープニングを見ているような感じでガンガン動く動く。見ていて楽しくなります。
<システム>
使い古されすぎて却って最近では見なくなり、一回りしてもはや斬新な「ビジュアルノベル」。物語を見せるにはなかなか優れた手段ですし、ビジュアルノベルとして見れば、スキップも早くてセーブポイントも多く、使い勝手は悪くありません。
なんですが、確かにこれ、キャラクタの立ち絵とかイベント絵が見づらくなるという大きな欠点があることは上にも述べました。これはもうシステムが持つ根本的な欠点です。これをできる限り解決するには「右クリックなどの簡単な操作で文字が消える」のが一番手軽なんですが、この作品で右クリックをやると「サイドバーの設定」画面になってしまいます。これは惜しいかな。余計なことしないでいいから画面が見たいときにはすぐ見たいんですけど、という。
で、それを解消するのが、この「サイドバー」です。画面右端に薄く出ていて(設定で変えられます)、マウスを持っていくと「セーブ」「ロード」「スキップ」「オート」そして「テキストオフ」ができるアイコンが並んでいるという、これが慣れると想像以上に便利。これがあればまあいいかな、という気にさせてくれます。
で、さらに、普通におまけでついてくるパズルゲームとシューティング。別に初回特典とかじゃありません。
これが、想像以上に遊べます。ファンディスクとかが出たらそれに入っててもおかしくないくらいの完成度で、どちらもルール自体は単純なんですがそれだけにいい時間つぶしになります。ま、時間つぶしでやってるつもりがいつのまにか一時間、とかざらなんですが。キャラクタたちがディフォルメされて登場するので、その絵を見るだけでも楽しげで実にいい感じ。こういうのができちゃうのがやっぱりすごいなあと思うわけですよ。
<音楽>
実は半分以上が「初代」と同じでそれにアレンジがあるだけなのでなかなか難しくもあるんですが、それだけに懐かしさとともに、やっぱりいいなあ、と。新曲についても決して悪い出来ではないんですが、旧作の曲の印象が強くてどうしても印象が薄くなってしまいますね。
新曲では落ち着いた感じの「春の日和の野原の笑顔」とか好きなんですが、旧作の「春風にのせて」「暮れゆく陽」「フレンチキス」とか、アレンジが加わってさらに聴きごこちのいい曲になってる気がします。
でも、一番のお気に入りは前作では歌モノだった「それぞれの未来へ」。これは名アレンジだと思います。BGMとして耳当たりがよくて、おもわず聴きこんでしまうような。
歌モノについても文句なし。オープニングと、特定のシーン時のみかかる挿入歌「星の歌」も悪くないんですが、やはりエンディングの「ありがとう」ですね。これがほんとに素晴らしい。作品の内容にマッチしているというのもありますし、メロディラインの綺麗さに一発で惚れこんでしまいました。
主人公以外は男性キャラ含めて全員喋ります。この声もみんな見事。ハズレがいません。
このみや愛佳、由真あたりは、嫌味っぽさをなくしながら演じるのが非常に難しい役どころだと思うんですが、そのへんをものすごく見事にこなしている感じがします。
違った意味で難しそうなのがまーりゃん先輩だったりもするんですが、こちらもあのハイテンションっぷりがまったく軋むことなくキャラクタとして完成している見事さ。ベクトルは逆ですが郁乃とかもそうなんですけどね。ちゃんとキャラクタが把握されている感じがして素晴らしいです。
なんと云うか、キャラクタを作る上で、ここまで「全員がハマっている」というのはやっぱり凄いんじゃないかと思います。
<総合>
『To Heart』の続編としても、あるいはまったくブランニューな作品としても完成度は高いと思います。初代のような、物語そのものでやたらと感動させたりみたいな新鮮さはなくなっていますが、逆に「平和な日常」を、「ぶっとんだキャラクタたち」と過ごすという楽しさはこちらのほうが上。確かにキャラクタ自体は飛んでますが、例えばるー子なんかは別にそれだからどうもなあ、ということになりづらいあたりにそのあたりのレトリックがある気がします。
なんていうか、確かに「普通のエロゲー」なんですよ。でも、「普通」を「普通」にすることの難しさというか、学園での楽しい生活をシミュレートするという「学園モノ」本来の目的からすれば、これを超える作品ってなかなかないんじゃないかと思います。別の作品のレビューにも書いた言葉ですが、「なんとなく幸せな毎日を過ごすことの幸せ」ですね。この演出の巧さはやはり一流です。
そういうことからすれば、過剰な物語性を期待するではなく、そういう「楽しさ」を感じることが好きな人なら、間違いなくお気に入りの一本になるでしょう。念のために云っておきますが、別に物語が全然ダメというわけではまったくありません。愛佳の話なんかはなかなかいい話ですしね。でも、そこに過剰に期待するよりも、やっぱり「普通の幸せ」を楽しむ方が、きっとこの作品はより楽しく読めるんじゃないかと思うのです。
しかしまあ、サブキャラがメインキャラを食っちゃうってのも一種伝統ですね。愛佳シナリオの郁乃とか、ささらシナリオのまーりゃん先輩の立ち位置の美味しいこと美味しいこと。メインキャラ食っちゃってますよ完璧に。
あと雄二の存在ですかね。こいつ、偉そうなこと散々云っててさも自分は恋愛マスターみたいなこと云ってるけど、こいつも普通にモテてないあたりがまたなんか妙に寂しいものがあります。いや、別にいいんですけど。
2005/12/21
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