加奈 …おかえり!(高屋敷開発/ディーオー)

項目シナリオシステム音楽総合
ポイント5+2+4+9−
シナリオ:山田一
原画:綾風柳晶
音声:フル
主題歌:有(オープニング:『白い季節』/エンディング:『あなたへ』/挿入歌:『Believe 〜つぶらな瞳〜』『メッセージ』『潮騒のメロディ』)

<シナリオ>
 主人公「隆道」と、入退院を繰り返す病弱な妹「加奈」。そんな二人と、さらにその周りにいるさまざまな人々を描き出した物語……という、基本にあるところはそんなところで事足りてしまいます。それだけだとなんでもないような印象しか受けませんが、そうではありません。
 この作品『加奈 〜いもうと〜』が最初に世に出たのは1999年の6月。発売されてからじわじわと口コミで人気を広げ、多くのアダルトゲームユーザーを感動の渦に巻きこみました。それだけ中身の詰まった物語だったのです。
 今回のは絵を全面的に描きかえたほか、主人公以外のキャラがフルボイスになった「リメイク版」なのですが、シナリオについては原則的に変化はありません。もしかしたら細かいところで加筆修正がされているのかもしれませんが、大筋のストーリーに変化はなし追加のシナリオがあるわけでもありませんし、もちろんキャラクターが増えたりもしていません。基本的に昔の『加奈 〜いもうと〜』のままです。
 『加奈 〜いもうと〜』からのファンは、ここをどういう風に取るかでしょう。それなら別にいいやという考えもありますし、時間が経った今だからこそ新たにやり直してみたいという考えもアリだと思います。そのあたりはこの作品に対する思い入れ方の違いだけですので、あえて触れることはしません。
 少々自分語りめいた文章になってしまいますが、わたしがこの『加奈』という作品にはじめて触れてから、既に結構な年月が経っています。最初にこの作品に触れた頃からは、自分を取り巻く環境も、それに伴って自分の心情も大きく変化していて、そうするととりわけ涙を流すようなタイプの「感動」というのは一般的にはツボが変わってくるものです。
 だから、昔は感動できた作品をもう一度やり直してみてもこれっぽっちもなんにも感じないこともあるし、またその逆もあるでしょう。それはそれでいいと思います。
 思いますが、どんなに好きな作品であっても、その作品の「リメイク版」なるものにわたしが手を出さなかったのはそこに理由がありました。たとえキャラクタが追加されていようがなんだろうが、昔に「感動した」作品というのを今やってみて、今感動できなかったら、その作品の灯火が自分の中で消えてしまうような気がしていたのです。
 この『加奈』もそうなのかと思っていました。『加奈』という作品は昔にこれでもかと入れ込んだ作品ですし、それを今リニューアルされてもねえ、というのがあったのは間違いありません。いつもならスルーですが、店頭で見かけて「買ってしまった」のにはやはりなにか感じるものがあったからなのだと思います。
 で、実際にやり直してみると、昔とまったく同じポイントでぐっときてる自分がいたりするわけでして、不覚にもまた落涙してしまいました。いくら初プレイ時から時間が経っているからと云ってももちろん物語の結論も展開もわかっていますし、以前にぐっときた言葉がそろそろ出るなあ、というのもだいたいわかります。
 わかるんですが、それでもやっぱり感動してしまうんですね。
 いわゆる「ストーリー系」アダルトゲームというのは大きく二種類に分かれます。一つはこの『加奈』のような、純然たるストーリーで感動させてくるタイプ。そしてもう一つは、哲学的要素やシナリオライターの主張をまず前に出して、それに共感できた人が感動するタイプのものです。
 『To Heart』あたりから一気に盛り上がってきたのが前者だったのですが、世の中の物語のパターンというのは有限ですから、ストレートな表現手段ではすぐに手詰まりになります。だいたいこういう直球型で人を泣かせようとすれば、死を惜しむか待望の再開かどちらかのパターンに分類されてしまうものだったりするのです。
 事実、この『加奈』なんていうのはジャンルとしては「闘病モノ」なわけで、そんなものはそれこそ源氏物語の時代から感動のパターンとして使われてきているものです。
 だとすればこっち路線の、いわば「泣きゲー」が片っ端から闘病と再会物語になってもおかしくはないのですが、単純に文章力にある程度の技術がないと成り立たないジャンルであるということもあるし、そもそも商業ベースで考えた場合に他社と同じ展開になってしまうのはちとまずいと考えざるをえませんでしょう。そこである意味「仕方がなく」、ストーリー系アダルトゲームは後者へと転換していくことになったのだと思います。
 後者の場合、ツボにはまればもう後にも先にもないくらいに深くのめりこむことができるのですが、逆にそのツボから少し外れているともうアウトです。昔はアダルトゲームでも感動して涙を流したりしていたのに、最近それができなくなったと感じていたりもしたのですが、それは質が下がったとかそういうことではなくて、なんとなくここに起因するところが大きいような気がするのです。どれもこれも「泣きゲー」でくくってしまいがちだけど、その「泣きゲー」の中にも種類があるんだということですね。
 そして前者……つまり、ストーリー展開だけの直球勝負を挑んでくるストーリー系アダルトゲームというジャンルにおいて、『加奈 〜いもうと〜』という作品はおそらく一つの頂点だったと云ってもいいのではないかと思います。
 こういうことを云うといわゆる「痛い人」扱いされかねませんが、この作品で例えば生きることの大切さを教わったとか、そういう人がいてもいいのです。ですが、それはあくまでも付加価値であって、あくまでも本筋はドラマとしての完成度があってからのことだということは押さえておく必要がありますでしょう。
 命の大切さを書きたいからこの作品を作ったというのではなくて、まず物語の完成度という命題があり、そこに近づけるための手段として闘病モノというジャンルを選んだ結果としてそういうメッセージが残ることになったと考えるほうが自然なのです。
 この二つは似ているようで実はまったく別のものです。
 当然、物語としてまず先にあるもののほうがわかりやすいのは間違いありません。しかし、それは我々が持っている感動物語のストーリーパターンに当てはまることが多いわけですから、受け手が食傷気味に感じたらその時点でアウトです。ここで「名作」になるにはそれこそ針の穴を通すような物語展開が必要になってくるのですね。
 対してまず思想がある作品では、本当に多少ですがそこに振幅が許されますし、寧ろその変化が展開そのものの質を上げることも多々あります。そのかわり、この手の作品で一人でも多くの人を「感動」させようと思えば非常に難しい作業にならざるを得ません。
 『加奈』が凄いのは、その前者のパターンにおいて、まさにその絶妙なところを通したバランスにあるのだと思います。かえすがえすも使い古された「闘病モノ」をテーマに据えて、その中で既に使い古されたパターンをぎりぎりのところで通しながら、シナリオライターのオリジナル要素を組み込んだことでこの作品は名作になりました。
 そしてそれはつまり、この物語というのがいつまでも古くならない、ということの顕れでもあります。何度も昔にやったのに、それでもまだ感動できてしまうというのは、作品の存在しているジャンルにおいての完成度が高かったからに他なりません。
 もちろん、好き嫌いはあると思います。アダルトゲームで感動してどうするよという人にとってはどうにも救いようのない作品でしょうし、こういう使い古された質の物語なんかじゃ感動できないという人だっているでしょう。
 それはそれでいいと思うのです。それはこの作品の持つエネルギーの問題ではなく、もっと根源的なところにある好みジャンルの差異なのですから仕方がありません。好みのジャンルがこのような直球型物語ですという人にとっては忘れがたい素晴らしい名作だった、というそれだけの話なのです。
 当時、この作品を巡っては非常にファナティックなユーザと嫌疑派があちこちで云い争い(議論、ではなかったことは間違いありません)をしていましたが、そういう作品の置き所を無視して、「いい」「駄目」でくくれるようなものではありえなかったのです。
 食べ物の好き嫌いといっしょで、たとえば納豆が嫌いな人に、納豆はこういう栄養もあるしこういう成分が入っているから美味しいんだ、ということをいくら説いても、その人の納豆嫌いは直らないのと同じようなものです。食べてみて不味かったらもう駄目で、そこにあるのは理論ではありません。
 先の話で云えば、納豆は美味しいか不味いかをいくら云い争っても、答えなんか絶対に出ないのです。
 だから結局、先の云い争いも、そのほとんどがファナティックなユーザは「こんな感動がわからないなんてもったいない」と、嫌疑派が「これだからろくに本も読まないエロゲーオタクは」とお互いに落ち着いてしまいました。
 とりあえず、昔にこの作品好きだったんだよな、という人もやってみて損はありません。昔と同じように感動できると思います。ですが、とくにストーリーが変わっているわけでもありませんので、別に買わなくても昔買ったソフトを引っ張り出してきて再インストールすればいいという考え方もありますが、それは絵とフルボイス化をどう考えるかということになってくるでしょうか。
 まだこの作品を一度もやったことがないという方で、ゲームで感動して泣くことに抵抗のない、いわゆる「泣きゲー」が好きな人というのがいれば、ぜひとも一度やってみてください。
 そんな何年も前の作品なんて古臭くてやれたもんじゃないよ、という考えもあるとは思いますが、そのへんは問題ありません。先の作品の質もありますし、文章のテンポもビジュアルノベルながら非常によくて読みやすく、古臭さはまったく感じないと思います。
 結局のところ、ある種アダルトゲームとしても「古典」ですが、物語としても「古典」なんですね。「泣きゲー」が苦手な人に勧めてもしかたがない作品ですが、そういう作品が好きな人がこれをスルーするのはちょっともったいないです。このジャンルにおいてはそれだけのクオリティを持つ作品であることに間違いありません。

<CG>
 『加奈 〜いもうと〜』から立ちキャラからイベントまで全部描き直されているんですが、単純に好みで云えば前のほうがよかったような気がします。前の時もクセの強い絵ではありましたが、今回のもアクが強め。決してヘタクソだとかそういうことはまったくないのですが、半端にリアルな感じの入った絵で、なんだか、『せ・ん・せ・い』とかのずっと昔のディーオー作品を見ているようなノスタルジーを感じます。古くなってどうすんだって感じはしますが、まああんまり今風の絵にするのも作風と合わないということなのかもしれません。どちらにせよはっきり云って、絵に関してはものすごく好き嫌いが別れるような気はします。
 ただ、途中に入るアニメーションがいただけません。この作品、追加要素としてアダルトシーンの一部分だけがアニメーション入りになっているんですが、これはもう完璧に蛇足。ここまで完璧すぎる蛇足はないくらいに蛇足。まずとりあえず、動きが絶望的に安っぽいです。秒間何フレームとかそういう次元の話じゃありません。止め絵を一秒間に4フレームくらいに切って入れたみたいな、なんかGIFアニメみたいなクオリティ。どうしてこれを入れることにゴーサインが出たのかわからないくらいのおもしろアニメでぐんにょりすること請け合いです。最初に見たときは笑わせようとしているのかと思いました。さらにスキップモードで飛ばしていても、このアニメが始まるとわざわざクリックしないとスキップが途中で一時停止してしまうので非常に面倒くさいんですよ。
 ま、そもそも、この作品にそういう要素って必要だったのかとそこから考えて欲しかったところですけども。別に『加奈』は神聖だからそんなエッチな目で見ることは許さないみたいなことを云うんじゃなくて、仮にあのアニメがものすごくて単独で見たらもう一人エッチをせずにはいられないクオリティだったとしても、あの物語展開で、闘病生活とかの間に入ってくるあのアニメで一人エッチをする気になりますか、という意味合いです。死とは何かとか生きることの意味とかを真面目に語っている話の中でそんな中途半端なアニメが入ってこられてもどうしたらいいのかわかりません。回想モードにエロシーンの回想を入れないくらいにアダルトゲームとしての存在意義を思い切っているのなら、わざわざこんなアニメを入れた意図がさっぱりです。入れるなら入れるでもいいけど、スキップ中は飛ばすようにするか設定でカットできるかくらいはしてほしかった感じですね。

<システム>
 最近はあまり見ることのなくなった純然たる「ビジュアルノベル」で、システムについて特に目新しいところはありません。セーブポイントも多くてスキップも高速ですし、普通に使う分には問題はありませんでしょう。とりあえず目立ったバグなんかもありませんでしたし、見所もないかわりに安定しています。
 文句があるとすれば「Play-Gate」システムなのですが、これはゲームそのものではないのでまた別に。

<音楽>
 歌モノは、リメイク前の三曲にさらに二曲追加されているほか、少なくとも「白い季節へ」と「Believe 〜つぶらな瞳〜」の二曲に関しては録りなおしがされているような感じ。もともとエンディングの「あなたへ」が非常に好きな曲なので、この歌モノについては文句はありません。この作品の歌はわりと物語と歌詞がシンクロしていて、劇中に聴くとそれだけでぐっとくることもままあるのですが、新規に追加された挿入曲についてもそれはしっかりと継承されています。このへんは流石ですね。
 劇中曲もいい感じ。とくにゲームが終わってからだとさらに浸れる感じの落ち着いた曲が揃っています。『I Can't Live Without Her』とか『夕暮れの街路樹』あたりが個人的にお気に入りなのですが。
 で、古くからのファンには気になる声ですが、これが結構悪くありません。もしかしてイメージを完璧にぶっこわしてくれたらどうしようみたいな危惧はあったんですが、そのへんは大丈夫でしょう。みんな巧いです。加奈なんて演じるのすごく難しそうなんですが、むしろ声があるおかげで「知的エンド2」「知的エンド3」のエンディングあたりはものすごくぐっときます。お医者さんとか生徒1みたいな、男女問わずに脇役キャラまで含めて全部声が入っているのはいいですね。ついでに云うのなら、この作品に関しては、主人公にも声があってもよかったんじゃないかと思うんですがどんなもんでしょう。

<総合>
 ゲーム自体はある意味で有名な作品ですので、いまさらこの作品について細かく触れることにそれほどの意味があるとは思えませんが、とりあえず間違いなく5年の月日を感じさせない名作であることは間違いないと思います。はじめてやる人だとどうしてもあの独特のクセの強い絵で敬遠してしまう人もいるかもしれませんが、「ちょっと気になる」のならそれを押し切って買うことにおそらく意味はありますでしょう。シナリオに関してはそれくらいのクオリティのものだとわたしは思っています。
 ただ、『加奈』独自のシステムではないらしいので「システム」の項目では少ししか触れなかったのですが、この『加奈 ……おかえり!』には、「Play-Gate版」と「コレクションBOX版」という二種類があります。後者は前者よりも二千円ほど値段が高いのですが、そのかわりになにやらソフトにいろんなおまけが突っ込まれてる仕組みです。わたしは別にゲームが出来ればいいので前者を購入したんですが、この二つ、ただの「限定版」「通常版」の扱いなのかと云うとそうではありません。前者は「Play-Gate」というシステムを通さないといけないのに対して、後者はそれが不要なのです。
 で、この「Play-Gate」システムが問題です。これだけはどうしても解せない。これ、何かと云うとつまりはアクティベーションというやつで、最新版のWindowsをはじめとしたビジネスアプリケーションではよく見るようになった「ネット認証システム」です。インストール時にネットに接続して認証しないとアプリケーションが起動しないという、一種のコピープロテクトですね。
 確かに、イリーガルコピーやネットでのネットでのファイル共有が製作元にとって死活問題になるというのは、まがりなりにも業界の隅っこで仕事をしているわけですから理解していないわけではありません。この手のプロテクトというのが必要になるというのは理解できます。そのためにはアクティベーションという手段そのものは、情報を企業に渡すということへの気持ち悪さはあるものの仕方が無いかなという気にもなるのですが、このシステムそのものは根本から見直すべきではないかと思うのです。たとえばマイクロソフトの『Office XP』もアクティベーションでのライセンス認証システムを採用していますが、ネットに接続してライセンスを認証しなければならないのは最初の起動時だけで、あとは基本的にそのコンピュータがネットに接続されていなくても使用できます。これは他の多くのアプリケーションだってそうでしょう。ですがこの「Play-Gate」は、毎回起動時に認証にいくので、そのたびごとにネットに接続されている必要があるのです。たとえばネットが回線工事などで繋がらないときとかにはゲームを楽しむことすらできないわけですし、アナログ回線やISDNなどの回線で接続している人には、一回の起動ごとに電話代を取られてしまうわけですね。ネットゲームとかならともかく、ハードディスクの中にあるゲームを楽しむために毎回起動時チェックがあるということ自体理解不能です。
 そしてさらに、値段の高い「コレクションBOX」だとPlay-Gate抜きでゲームが起動できる……つまり認証が要らないというのも理解できません。ゲームだけを楽しみたいという人には意味のわからない手間をかけさせて、それが嫌なら値段の高い、別に欲しくもないグッズが入ったモノを買えというのではもうどうにもならないです。もしコピーとかの防止なのであれば、どうしてこっちにも同じようなプロテクトをかけないのかがまったく理解できません。
 繰り返しますが、わたしはファイル共有もイリーガルコピーも大嫌いです。ですから、コピープロテクトやアクティベーションのシステムそのものに反対しているわけではありません。まあ、いろいろ手間が増えるぶんだけ面倒になるわけでして、もろ手を上げて賛成するではありませんが、それは仕方が無いことなのかなという気もしています。ですが、それで低下するユーザビリティの程度を考えないと、それはモラルとか以前にソフトウエアとして駄目だと思うのですよ。
 そういうことからすれば、最初の一回だけ認証してあとの起動時にはスタンドアロン環境でも起動できる、という多くのビジネスアプリケーションに採用されているシステムが、おそらくユーザビリティとプロテクトセキュリティを天秤にかけた場合に許されるのギリギリの線なんじゃないかと思うのです。毎回ネットに繋がっていないと起動すらできないなど、ユーザビリティ無視のシステムだと云われても仕方がありませんでしょう。

 追記
 久しぶりにやろうと思い、起動してみたところ、いつのまにかPlay-Gate認証システム「サービスそのもの」が終了しておりました。正味二年程度しか持たず、まさに上に書いたものよりもはるかにひどい状況だったわけです。
 これに関してはかなり強い憤りを憶えます。そんなにユーザが信じられないというなら、キツいプロテクトをかけるのもありでしょうし、事実、ここまでネットを使った違法ダウンロードが増加してしまえば、ユーザをひとまとめに信じられないという気持ちもわからないではありません。
 ただし、その裏側には必ず高い金を出してソフトを購入したユーザがいるわけです。そういうユーザに不便を強いてはならない……こんなことは当然のことだと思うのです。そして、不便を強いるなら、それだけの責任は為されるべきでしょう。ここでメーカーが負うべき「責任」とは、すなわち「Play-Gateシステムを運用し続ける」ことです。
 赤字だからじゃあやめます、でやめていい問題ではありません。それすら為されず、このPlay-Gateというシステムは最高の反面教師となってしまいました。
 どうやらこのPlay-Gateシステムは、他の会社の認証システムに乗り換えて認証自体は継続していくようです。そんな運営すらできないのなら、さっさと認証なしで動くパッチなりを配布すべきだと思うのですが、それはどうやら嫌なようで。
 ただし、ゲーム自体は一度すべてアンインストールしなければならず、メーカーに問い合わせた上で認証システムをダウンロードさせ、さらにセーブデータの引継ぎもできないなど、ユーザビリティなどこれっぽっちも考えられていません。言葉は悪いですが、はっきり云って、バカにするのもいい加減にしろ、というのが正直なところではあります。
 ゲームそのものはいいのに、くだらないことでケチがついてしまった。この作品はまさにそんな作品ですね。作品そのものに罪はありませんが、これから買う人はちょっと注意が要るでしょう。面倒を避けたいのであれば、要らないグッズがついていてもコレクションBOX版を買うほうがいいかもしれません。まだ売っていればの話ですが。

2004/11/24
2007/12/14 追記

戻る