夏日 -Kajitsu-(すたじお緑茶)

項目シナリオシステム音楽総合
ポイント3−4−5−
シナリオ:Hiryu
原画:村正たてお
音声:有
主題歌:有(オープニング:『-夏日-』/エンディング:『想い出の形』『夏空』)

-詰め込まれた要素と入れ物不足-

<シナリオ>
 田舎に引っ越してきた、ひねくれて面倒くさがりな主人公が、「ちや」という障害を持つ少女と知り合い、それをきっかけに変わっていく……という物語。
 攻略対象となるキャラクターは三人と今時の作品にしては少なめですが、そこにさらに基本的な物語は三人ともほとんど変わらず、後半のエピローグ付近で大幅に分岐する仕組みになっているので、やはりボリュームというものはあまり感じません。
 しかしこのボリューム不足を感じる原因は、あながちそのせいだけではないです。
 この作品でもっとも特徴的なキャラクターは(と云っても繰り返しになりますが攻略対象キャラクターは三人で、しかもサブキャラクターに至ってはその立ち絵の一枚すら用意されていないのですが)、やはりメインヒロインである「ちや」になります。
 ちやは知的障害を持つという、いわゆる「知恵遅れ」の設定になっていて、そういうことをはっきりと明言した作品はある意味でわたしの知る限りではこの作品がはじめてですから、それが特徴的なのは仕方がないでしょう。
 それはいいのですが(本当はこれに関してはいろいろあるのですが、それは後に譲ることにして)、どうも製作した側というのはこのちやをアダルトゲームの舞台にどう出していくかということだけを考えていて、それ以外の二人はものすごく適当というか。いくらなんでもアダルトゲームで攻略対象が一人だけってのはまずかろうからじゃあこのへんのキャラクターを二人追加しとくか、みたいな考えで入れられたのではないかなどと勘ぐってしまうような薄っぺらさなのです。
 唐突に喧嘩したり唐突にいじけたり唐突に仲直りしたりするだけの話で、これが田舎町を舞台にしていることとかいった舞台設定はほとんど生きていませんし、話自体にほとんど起伏もありません。行動に対する動機と結果もいまひとつあいまいで、いくらなんでもこれではあんまりというものです。
 それならちやの話はいいのかということになりますが、これはどうなんでしょうか。
 ちやは「障害を持つ」という設定ながら、実際のところはアダルトゲームにはありがちな「ちょっと変わった子どもっぽいところがある女の子」の域を出ていません。
 別に障害者であるという問題に深く切り込んでいくでもなく、ちょっと言葉が不自由な以外は普通に主人公たちとコミュニケーションを取るという感じで、ソフトについていた「設定資料集」を見ると「これは障害の一例を元に作ったキャラなのでこんなのは障害者じゃないなどと云わないで欲しい」というような口上があったりもします。
 個人的にはせめてそういうこと云わなきゃいいのに、と思うんですがそれはともかくとしても、こういうことになってしまうと、ただ「ちょっと変わった子どもっぽい女の子」じゃインパクトに欠けるから目新しさのウケだけを狙ってそういう設定にしたのか、と勘ぐられても仕方がないと思います。
 話自体は決して悪くはないのです。ちやと恵の弁当のエピソードなんかは実に微妙な心の動きなんかをうまく表現してるなと思いますし。
 ただ、全体的なまとめとして考えるとこれはどうも……といったところです。
 他二人の話は云うまでもなく結論部分含めて実にあっさりしたもんですが、ちやに関してもそれは同様。ちやというキャラクターに対してスタッフが感じた「萌え」とかなんとかそういうものを詰め込むだけ詰め込んで、ストーリーそのものはものすごくないがしろにされている印象は受けてしまいました。
 だから、たとえば川原でちやが突然服を着替えるエピソードとかすごく純粋無垢少女として見れば魅力的なのだけれど、でもそれはそれだけで結局ブツ切れのまま終わります。
 テキストのテンポも微妙です。わたし個人の趣味からすると、テキストに「(笑)」なんてのを入れてみたりとか、文末に句点を打たないというのがどうにも落ち着かないんですがそれは個人の趣味として譲るとしても、一日一日の流れがあまりにも早すぎというか、会話の流れを端折りすぎです。
 基本的な時間の流れは、例えば一日目の昼のシーンが終わるといきなり次の日の夕方のシーンが始まったりするようなタイプのもので、つまり「なにか重要なこと」以外はすべて時間もろともすっとばされるということになるんですが、これがひとつのシーンが早いと十個くらい言葉をやりとりしただけで一日が終わってしまったりすることもあります。
 しかもエピソードひとつひとつはブツ切れで脈絡はありませんし、これでは田舎ののんびりした雰囲気などこれではどうしたって出ません。キャラクター同士の会話が始まると、基本的には地の文が出ず、ただひたすら「」で括られる会話の流れになってしまうのも原因でしょう。
 「気持ちよく読ませる」というのがテキストのテンポのよさと大いに関わってくるのですが、この作品ではそのあたりがどうも微妙です。
 あとはまあ「これは長い話なんだけど」という前フリで始まった会話が五クリックほど、実際に話したところで三分もあればお釣りが来る程度の話だったりとか、なんかこう肩透かしを食らいます。
 そしてもうひとつ。物語には必須の「伏線」というものが、この作品の場合は張られっぱなしになってほったらかしになっているものが多すぎです。
 恵が入っている部活についての話とかもそうなんですが、それ以上にこの町に伝わる伝説の話はなんだったんでしょうか。民俗学とか、それっぽい昔話とか、カッパの話とかそういう実に興味深い思わせぶりな話が冒頭に語られ、これはいったいどう絡んでくるんだろう、といろいろ考えたりするわけですが、これが驚くくらいなにも物語と関係がありません。最後までほったらかしです。
 それはそういうことで、という、つまるところまったく必要のないエピソードなわけです。
 まあ、田舎であるとかそういうシチュエーションの演出として入れたという考え方もできなくないんですが、そう考えるにはあまりにも他の部分で同じようなシチュエーションを演出しようとする表現が見当たりませんし、これまたただただ肩透かしです。
 おまけシナリオでそれに関係しているような話も出てくるんですが、あれはどちらかというとちやとのエッチシーンが足りなかったから入れとこうみたいな感じのコンセプトであろうことは、ストーリーが無くただエッチをするだけというおまけストーリーを見てみればすぐにわかりますでしょう。
 で、先程も出てきた「設定資料集」を見てみると「田舎が舞台と聞いて昔旅行した遠野と飛鳥を思い出した」とあります。
 確かに、民俗学や先程のカッパの話なんかはモロに柳田國男の『遠野物語』ですし、語られる町に伝わる伝説なんてのもそういうものの影響を受けているのは一目瞭然です。
 ちょっと考えると、これって製作者が『遠野物語』の影響をモロに受けて、一応そういうエピソードっぽいものは入れたかったので入れました、というそれだけのものだったんじゃないかと思わざるを得ません。
 それが物語と絡んでいれば『水月』や『二重影』のような面白さが出たのではないかと思います。
 なのですが、そこまでは考えなかったのかそれで満足してしまったのか、「そういうのがあります。以上」では、いくらなんでも投げやりすぎです。
 もちろん、そういうのがあるんだけど物語には関わってきません、というのがあることに関して否定する理由はないのですが、それならそれでそれを補う魅力的な物語が欲しかったところではあります。
 田舎を舞台にした作品であることや、先のちやが障害者であるという設定もそうなのですが、結局のところこの作品のシナリオが抱えている問題はここなんじゃないかと思うのです。
 製作者の「こういうのがやってみたい」「こういうのを入れるとカッコイイだろう、深みが出るだろう」という思想はわかるのですが、それがほとんど練られることなくただ物語の中に突っ込まれているだけで、話に深みが感じられません。
 解りにくい、というのであれば別の例えで説明してみましょう。レストランでステーキを注文したとします。注文を受けた料理人は、これを美味しく食べさせようと思うでしょう。
 その際、肉は塩胡椒を振って注文した好きな加減で焼き、肉だけでは寂しいので添えられるジャガイモはきっちり切れ目を入れて焼いてバターを塗って、最後に皿に乗せてステーキソースをかけて、などと調理をします。
 こうしてステーキができあがり、注文した客はそれを美味しく食べることができるわけです。
 ところがこの作品の場合は、まったく料理がなされていません。注文したら、ステーキ皿に生の肉とそのままのジャガイモがどんと載せられたものが出てきた、というのを想像してください。
 肉がいくらどこそれ牛の高級なものであっても、ジャガイモが北海道直送の新鮮で美味しいものであっても、料理がされていないのではそれを魅力的に味わうことなどできません。
 そういう高級素材を魅力的な料理に変えるのが料理人の仕事であるとすれば、面白い素材を魅力的な物語に変えることがシナリオライターの仕事なのだと思うのです。
 この作品、舞台が田舎であること、ちやが障害者であること、最初に語られる昔話やカッパの話……なんていう素材を用意して作品の中に突っ込んではみたものの、なにか「そういうコンセプトを入れました」という事実以外は放置されてしまったような、ちょっと全体的に投げやりな印象というのがどうしても否めませんでした。それが、ちや以外のシナリオが本当に起伏のないシナリオになってしまっていることや、はたまた三人以外は立ちキャラの一枚すら存在しないことなどにも現れ、ボリューム不足を感じさせる結果になっているのではないか……という気がしてなりません。

<CG>
 あまりパターン数は多くないものの、立ち絵はどれも安定して綺麗だと思います。バストアップよりも少し小さめの立ち絵になるのですが、顔や手の表情も豊かで悪くはありません。
 立ち絵も基本的には綺麗なのですが、主にキャラクターが驚いた表情のシーンで大きく崩れることがあるのが気になりました。
 なんというか時々目が飛んでしまう感じというか……まあ、それでも基本的にはそれほどクセのある絵でもなく、普通に魅力的だと思います。背景もわりと細かく描きこまれている印象ですが、駅前のシーンとかはあまり田舎という感じはしないかも。

<システム>
 バグとかはなく、未読・既読選択ができるスキップも高速でセーブポイントも多く、システムの使い勝手というのは悪くはありません。タイトル画面のバックを動かしてみたりとかシステムとしては非常に面白いことをしています。このへんは悪くありません。
 ただ、音楽の切り替えのところでなぜかいちいち動作が止まってしまう……細かく云うといきなりぱっと音楽が止まってから画面が止まり、そのまま一秒ほど待たされる……というものになってしまっているので、非常にプログラムが重く感じますし、なんだか次に何が始まるんだろうといちいち思わされます。
 まあ、これはうちのマシン環境に限ったことかもしれないのですが。

<音楽>
 劇中曲はそれなりですが、オープニングとエンディングの唄は、なかなか田舎というシチュエーションが生かされた感じ。三曲ともボーカル曲なんですが、オープニング曲「-夏日-」や、エンディング曲「夏空」あたりは、透明感のある非常に綺麗な曲だと思います。もっとも、特にエンディング曲に関しては、ストーリーがちょっと今ひとつ盛り上がりに欠けるのでどうしても損をしているきらいはありますが。
 声も三人しかいないとはいえ、悪くはありません。ちやはやっぱりちょっと演じるのが難しいんじゃないかとは思うし実際苦労している様子がにじみ出てきているのものの、それほど違和感を覚えるようなものではありませんでした。残りの二人、恵と明日菜に関しては間違いなく巧いです。安心して聞ける感じ。

<総合>
 ちょっとここで、「シナリオ」のところで言及できなかったアダルトシーンについて多少捕捉がてら、今回なぜかよく使われる「設定資料集」から文章を引用してみます。
「エロシーンがなくても成立するような物語じゃなくて、それが意味を持つ。純愛物語に、おまけのエロシーンがついたから、18禁。そんなのは違うと思う」
 ……だそうです。つまるところ、アダルトシーンが物語の中に、意味を持ってしっかりと組み込まれた作品にしたい……ということだと思うのですが、はっきり云ってしまえば、わたしにはこの試みが成功しているとは到底思えませんでした。
 無論、たとえばちやのアダルトシーンなどはあれが二人の特別な関係を作り出したという点においては意味があります。あるのですが、そこに至るまでの経緯や、その問題が解決するまでの経緯というのがあまりに曖昧で急なので、その「意味」がどうしても形式的なものにしか見えてきません。
 どうもこの作品、先にも書いたように、やはり結局のところコンセプトがあまりにも練られていなさすぎなのではないでしょうか。
 別に障害者をそういうもののネタにするななどというようなことを云うつもりなど毛頭ありません。が、同じようなキャラクターであればアダルトゲームの物語においてはそんな設定など前に出す必要などまったくなかったわけで、ただ単にその設定を「どうだ萌えるだろう」的なキャラクター演出にするのではなく、扱うなら扱うでしっかりと練られた物語を見せて欲しかったな、と思えてならないのです。

2003/9/29

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