プリンセスメーカー

(ガイナックス・PC-9801シリーズ)




 わたしにとって「ドラクエ3」と「スーパーマリオ」が第一回目に大きく生き方を変えてくれたゲームだとするならば、これはその第二回目とも言えるゲームです。だって、パソコンに興味を持ったのって、実質的になにかの雑誌で偶然見このゲームのMSX版の記事を見たからなわけで、つまりこの作品がなければ、わたしはパソコンのゲームというものにそもそも興味を持つことがあったかどうか、という。
 当時高校に入ったばかりだったわたしは、ゲームといえばファミコン(当時はスーパーファミコンに時代はシフトしていたのですが、小遣いが少なく部屋にテレビもなかったわたしはスーパーファミコンは買えなかったのです)のゲームがメインで、パソコンでゲームができるということはもちろん知っていたのですが、パソコンのゲームというとなんとなく「信長の野望」や「三国志」といった歴史シミュレーション系のイメージが強く、今でもそうなんですがあんまり歴史が好きではなく、そういう戦国シミュレーション系のゲームにこれっぽっちも興味を抱かなかったので、パソコンのゲームなんてものはおそらく一生無縁だと思っていました。唯一、「ウイザードリィ」シリーズのパソコン版というのがちょっとやってみたいかな、程度だったのです。
 そこへ、たまたま買ったファミコン雑誌のパソコンゲーム特集かなにかだったと思いますが、そこで「プリンセスメーカー」の画面をはじめて見たわけですが、なんというかもう、衝撃でした。なにかを育成するシミュレーションゲームといえば、スーパーファミコンの「シムシティ」しか知らなかったところへ、「娘を10歳から18歳まで育てる」なんて発想は、わたしにとっては本当に眩暈がするほど新しかったのです。
 このゲームをやってみたいと思ったのは当然の話でした。しかし、今は他機種に移植されている「プリメ」シリーズですが、当時あれができるのはMSXやPC98などのパソコンしかなく、さいしょのうちは我慢していたのですがパソコン関係の雑誌なんかを見ているうちに(たまたま「電撃王」が創刊されたのもそのタイミングで、「新しく出たパソコン雑誌」ってことでなんとなく買い始めたのがきっかけだったと思います。これがまた違うほうへ人生を開いていくことになるんですが)どうしても我慢ができなくなり、さらに高校の友人が「プリンセスメーカー」のソフトを三千円で売ってくれる友人がいるんだけど買わないか」という話を持ってきてくれたことがきっかけになって、両親に頼み込んで自分の定期預金を解約、はじめて「自分のパソコンとして」PC-9801BXを入手しました。これをきっかけにどんどんディープな方向へ駆け出していくのですが、それはまた別のお話ってことで。

 さて、「プリメ」です。まさにパソコンを買ったその日に、大げさな話ではなく「徹夜で」やりました。掛け値なしにそれくらい夢中になっていたのです。ゲームのルールやシステム周りはものすごく単純でわかりやすくて、それでいながら作業自体はルーティンワークにならず、自分の反応に対して反応が返ってくるという、ディスプレイの中で自分の娘が「生きている」感じがはっきりと伝わってくるのです。それはそれまで夢中になった「ドラクエ」のようなゲームともまた違った感触でした。もはやゲームの枠を飛び越えて、この娘を幸せにしてやろうと思うことができたのです。
 このゲームの目標は、「自分の娘をプリンセスにすること」です。それにはありとあらゆるパラメータ(疲労等は除く)を成長させる必要があります。一回目のゲームですから、当然わたしもそこを目指してやっていくわけですが、やはりなかなかうまくはいきません。幼いころに気品と学問を中心に育てた娘は、やはり体力や力はどうしても弱くなりますし、それらを上げることで下がるパラメータもありますから、なかなか難しいわけです。
 10歳からはじまってその間にバカンスに連れて行ったり、体力がなくなって病気で倒れて大変なことになったり、あるいは収穫祭の結果に一喜一憂したり、そこにある生活は、まさに本物の「生活」でした。ゲームの中でそれが語られることはありません。収穫祭も「勝った」「負けた」か、それに付随したコメントが少し出るだけです。それなにものかかわらず、プレイヤーの(この場合はわたしですな)頭の中には、そのあとの娘との会話や心理状況、喜びや悲しみが…つまり、本編では語られることのない「物語」がはっきりと浮かんでくるのです。
 だから18歳の誕生日にゲームが終了して、自分の娘が三流貴族と結婚したときは、本当に泣きました。いえ、プリンセスになれなかったのが悲しかったのではないです。三流貴族の家に嫁いだその娘の幸せそうな表情にヤラれたのと、自分と共に過ごした日々の思い出が切なかったのと。これがプリンセスになるというエンディングだったらこんなに感動はしなかったのかもしれませんが、三流貴族の嫁という平凡な人生と、それを幸せに思ってくれる娘と、その娘との別れが切なかったのです。つまるところ、本当に娘を嫁に出す父親と同じ気持ちでわたしは泣いたのです。凄いとか言う言葉を超越した感動でした。思えばゲームで泣いたのはこれが初めてだったように思います。語られる物語などというものはこの作品には何一つなくて、そこにあるのはただ「父親になって娘と一緒に生活する」だけなのだけれど、そこには確かに物語がありました。娘とともに生活した日々がそのまま物語なのです。そういう意味では、これは「育成SLG」ではなくて、究極の「生活SLG」だったのです。
 こうして「プリメ」はわたしのお気に入り作品になりました。本当に何度やったかわかりません。今でも「SLG」のジャンルで、わたしはこれを超える作品に出会ったことはないです。この震えるような感動は、わたしにとってのちの「ときメモ」よりも上だったとはっきり言えます。

 のちに発売された「2」もやりました。これも徹夜でした。ゲームとしていろいろ奥が深くなっていたぶんだけ、やっていた時間は長かったように思います。ちょうどそのころC言語を独学で勉強していたので、生まれて初めて作ったゲーム改造ツールはこの「プリメ2」のセーブデータ改造プログラムでした。この「2」もものすごい作品で、それこそ狂ったようにやってはいましたが、なんとなく「1」に比べると、「ゲームとして」ハマっていたように思います。そこがわたしにとっての「1」と「2」の違いですね。いや、もちろん好きなのは「2」も好きですよ。なんですが、やっぱり最初にやったってのもあるんでしょうが、個人的に強く印象に残っているのは「1」のほうです。

 さらに時間が経って、高校を卒業したころにプレイステーションで「3」が発売されるという情報を聞き、これがきっかけでプレイステーション本体を購入しました。ほかに遊びたいゲームはひとつもありませんでしたが、もはや「プリンセスメーカー」というソフトは、そのころわたしにとってはハードを買ってでも遊びたいソフトになっていたのです。もっともこれは何度も延期に延期を重ねて、その間に「ときメモ」買ったりしてまあそれはそれでよかったかなあなんてことになってて、さらに満を持して発売された「プリメ3」はもうこれでもかとばかりのクソゲーになってて失望するという経緯をたどることになるわけですが。

 プリメ3は、言い方は悪いかもしれませんが余計なところに力を入れすぎていたような気がします。今ではもうあんまり覚えていませんが、有名な声優さんを起用して娘がしゃべるだとか、そういうのは別にやらなくてもいいことだったと思うんです。もっとシンプルでいいから、なんというか生活感を出して欲しかったというか、そんな気がするんですね。その生活感こそが「プリメ」の最大の魅力なんですから。