巫女の処女性 -巫女論- (2)

2004.1.27
 「巫女は処女でなくてはならない」。巫女さんの話をすると必ずぶつかるのがこれだ。これに疑問を持つ人はあまり多くないだろう。が、これはなぜなのだろうか。否、そもそもこれは本当のことなのだろうか。
 巫女と云うのは、「カミ」のメッセージを我々に伝えるためのシャーマンであるということは前回も述べた。つまり巫女は、天の神を受け入れることができる清浄な体でなくてはならないということだ。まして、神道という考え方において「穢れ」はもっとも嫌われるものである。神の依代となる巫女の体が、性の穢れを持たない処女に限られたというのはここから来ているのだろう。
 だがしかし、ここには一つの大きな疑問がある。この場合、前提条件として「性=穢れ」という考え方が存在しなければならない、ということだ。性の交わりというものが穢れたものでないとすれば、必然的に巫女が処女である必要はないということになる。
 無論、現代を過ごす我々にとってその考え方はある意味では当然のものだ。穢れとまでは云わずとも、性というのは隠されるものであり、社会的なタブーに属するものであることは間違いない。しかし、その考えをそのまま古代に当てはめてもよいものなのだろうかというと、これがどうもそうではないのではないかと思えてならないのだ。
 「記紀」では、共に冒頭で伊邪那岐・伊邪那美による国と神を産む話が語られている。『古事記』の上つ巻において「我が身は成り成りて成り余れる所一所有り。故、この吾が身の成り余れる所を持ちて、汝が身の成り合はざる所にさし塞ぎて、國を産み成さむと思ふ。産むこと如何に」伊邪那岐のこの言葉に、伊邪那美は「然善けむ」と同意する。また中つ巻でも、大物主が皇后を探す折、自ら丹塗矢(赤い矢……男性器の象徴)に化けて美しい勢夜陀多太良比賣の陰上を突き、これによって美しい娘が生まれたという描写がある。この他にも、神々のいわゆるセックスを描写したと思われるエピソードと云うのはたびたび出てくるのだ。もし仮に性が強い「穢れ」の概念に支えられたタブーなのだとすれば、彼ら神々というのはずいぶん矛盾したことをやっているのだなあ、ということになってしまう。別に神様がやってるんだからいいじゃんということではなくて、ここで大切なのは、少なくとも太安万侶らが『古事記』や『日本書紀』を記した時点においては、人々の考え方として「性=穢れ」ではなかったということだ。この考えからすれば、巫女が処女である必要など本来はありえない。つまり、巫女が処女でなければならないという考え方そのものが比較的新しく作られた概念なのではないかという推測ができる。
 考えられる原因として、まずは大陸から伝播してきた仏教の影響というのがあるだろう。古くからの寺院や山がそうであるように、仏教では女性そのものを忌むべき存在として扱い、女人禁制としてきた。この新しい新興宗教としての仏教はたちまち日本の国内に広まり、ひいては一つの仏教神道とでも云うべき日本人独特の文化を形成していくことになる。
 これについては少々解説が必要かもしれない。巫女の話とは少し脱線するがお付き合い願いたい。
 日本人の多くが無宗教であるというのはよく云われるが、これは厳密には間違いだ。無宗教の人間が圧倒的に多いのならば、こうまで神社仏閣がそこここにあるだろうか。小さな社なども入れれば、日本というのはおそらく世界的に見ても宗教施設の多い国なのだ。
 じゃあなぜ「無宗教」なのか。自分のことで考えてみていただきたい。わたしはキリスト教徒なのでちゃんと礼拝とかに行きますという人や、わたしは仏教徒なので云々、という人もいるかもしれないが、おそらく多くはそういう意識を持ってはいないはずだ。しかし、正月には神社に初詣に行き、お盆にはお寺に墓参りをするその行動に疑問をもつ人というのはあまりいないだろう。しかし本来、宗教施設というのはそれぞれ特別な意味を持つものだ。たとえば仏教にとって寺院というのは非常に意味のあるものなのである。
 当然、「わたしはキリスト教だけど仏教も信じています」というようなことは本来起こりえない。イスラム教徒だけどキリスト教徒でもある、なんていうことは信仰そのものの矛盾を引き起こす(ただし、ユダヤ教とキリスト教が同じヤハーヴェを崇拝の対象とするように、出自や崇拝の対象が重なる場合もある)。だから、神社に初詣という神道の儀式と、寺院に墓参りという仏教の儀式と、クリスマスというキリスト教の儀式を同じ人がそれぞれ意味を持って行うということはありえない話なのだ。日本人はそれをやってしまう。だから無宗教だ、というのだ。
 しかし、これには古くから日本人が持っていた宗教観が大きく関係しているように思う。
 もともと日本にあったのはいわゆる「神」という概念であった。この「神道」という名前は後からつけられたものだ。神道という言葉は「日本書紀」によるもので、大衆の神道……いわば民間神道では、いわゆる神々がそれぞれ自然や現象の中にいて、だから豊かな生活をもたらしてくれる山や川などの自然、雨や雷などの現象に感謝し、畏怖したのである。八百万の神々という言葉があるが、それだけ神様というのはどこにでもいらっしゃったものなのだ。だから、神道にはキリスト教で云う聖書、イスラム教で云うコーランのような経典もなければ(『記紀』はともに歴史書であって経典ではない)、イエス・キリストや釈迦のような教祖もいない。民間信仰から発展した「儀式」はあるが、こうしろというような「教え」はない。神道は本来、宗教としての体裁がまるで整っていないのだ。そこからそれぞれの教派神道が出来上がり、国家神道になって国家のイデオロギーを形成していったりする過程において「宗教」としての体裁を少しずつ高めてはいったものの、八百万の神様に感謝して生活をするという本来の信仰形態は、宗教ではありえないのである。
 それゆえに、日本人は古来から世界的にも特別な宗教観というものを抱いていた。神道というのは宗教であって宗教でない。だから仏教を受け入れても、その感覚を捨てられなかった日本人は、「神道をやめて仏教」というのではなく、「神道と仏教両方」……つまり後の神仏習合や本地垂迹をいとも簡単に受け入れることができたのだろう。無宗教とかそういうことではなく、宗教というものそのものに対する考え方が違うのだ。アメリカなどのように、日本に「敬虔なキリスト教徒」つまり、キリスト教のみを信仰する人々がどうしても多くないのは、こういった考え方と無関係ではあるまい。キリスト教を取り込むことはできても、それ「のみ」を信じるというのは日本人の宗教概念からしておそらく無意識にでも抵抗があるものなのだろう。
 さて、話が逸れた。ここでそろそろ話を戻そう。
 とにかく、そうして仏教は人々の生活の中に、神道という考え方と共存する形で入り込んでいった。その際に女性の存在そのものが仏教という宗教の中から「穢れ」として捉えられるようになり、異性との交わりを持たない……仏教的には俗世との関係を持たない「処女」というものだけが、特殊な穢れなき存在になっていった、とは考えられまいか。極端な例だと、高野山や熊野三山を近くに持ち、神仏習合の影響を強く受けていた奈良県の玉置神社では、やはり女性が不浄のものとされたため、現在でも例祭では男性の神職が巫女の衣装を着て「弓神楽」という舞楽を奉納するという珍しいものになっていたりする。本来、仏教と女性というのはそれだけ相容れないものであった。
 つまるところ、本来からすれば「巫女が処女でなければならない理由」というのが「性=穢れ」の概念から来るものであるとすれば、この正当な理由たるべき理由は見当たらないのである。高天原を治める天照大神、黄泉国を治める伊邪那美がともに女神である点などを鑑みても、おそらく神道ないしはそれ以前に日本人が持っていた概念では、女性は寧ろ男性の持ち得ない、「産み」の力に代表されるような神秘性を持った存在であったのだろう。もちろん邪馬台国における卑弥呼の存在にしてもまた然りだ。これが仏教が日本に根付いた中世になってくると、「産む」ことそのものが穢れたものとして扱われるようになってしまうというのは非常に抽象的である。本来、「産む」という神々が行った、ひいては神々によって与えられた神聖な力であったものが、仏教の広まりによって不浄のものとなり、ひいては性を俗世のものとして嫌うようになった。それがかつての神々の概念と混ざりあい、「処女性を持った女性以外は依代となれない」つまり「巫女は処女でなければならない」に変化していったものなのではないだろうか。そもそも巫女という仕事は、かつては一種の娼婦のような役割も同時に果たしていたとされる地域さえもあるのだ。
 無論、これはあくまでも推測に過ぎないのであるが、かつてはオープンに語られていたものであろう性というものの考え方の変化というのは、これはなかなか興味深いテーマかもしれない。



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